在学生・卒業生の活躍

在学生・卒業生インタビュー

外食産業の営業マンとして奮闘、その後、もう一つの夢を叶え教壇へ

富永 幹也 さん

Q.まずは、立命館大学学友会について教えて頂けますでしょうか?


立命館大学に在籍するすべての学生が加盟し、学生による学生のための活動を行う、日本最大の学生自治組織です。大学における学生生活の発展や向上、そしてそれらを通じた学園や社会の発展に寄与するべく活動している団体となります。学友会が行う活動は多岐に渡り、新入生を支援するオリター団のサポート活動、部活動やサークル等の課外団体支援、学園祭や新歓運動等の全学行事運動、自治委員選挙や総長選挙等の各種選挙運動、そして学生の要求を実現する要求実現運動等があります。約3 万3000人が在籍しており、すべての学生が充実して学生生活を送れるよう様々な支援や活動をおこなっています。

 

 Q.学友会での常任委員長を歴任された経緯について、教えて頂けますでしょうか?


きっかけはオリター団の先輩でした。オリター活動とは上回生が新入生に対して講義や学生生活など様々な場面で支援を行う活動です。私自身、地元の徳島県を出て初めての一人暮らしをしたり、不慣れな中での履修登録や講義の受講をしたりと様々な不安を抱いていていました。そのときオリター団の先輩に優しくアドバイスをいただいたおかげで大学生活を充実させることができました。その経験から、2回生では自らもオリター団に所属し新入生の支援に取り組んでいました。しかしながらオリター団を包括している学部自治委員会が機能していないことが当時の課題でした。学友会活動の意思決定を行う中央委員会に出席していなかったため、学部での活動が共有できず他学部や学生団体から孤立してしまっていました。私自身、そのような現状を改善したいと考え学部自治委員長にも立候補し、オリター活動と並行して自治委員会の活動にも注力していきました。中央委員会に参加し議論をしたり、学園祭など全学行事で他団体とのコミュニケーションを増やしたりと活動を広げていきました。また学部自治委員会の意義や活動をスポ健生へ発信することで構成員を増やし、組織としての自立を目指しました。これらの活動を評価いただき、翌年に中央常任委員長に指名していただきました。

 

Q.持ち前のリーダーシップを発揮されたのですね。


高校で野球部の主将を務めた経験が生かされていると感じています。当時所属していた徳島県立城南高校野球部は徳島県野球発祥の地でありながら甲子園に出場したことがありませんでした。そのことからチームとして甲子園初出場という目標を掲げ、日々厳しい練習に取り組んでいました。私自身、1年生からレギュラーとして試合に出場していましたが、オフシーズンに肘を故障してしまい、長期離脱をせざるをえなくなってしまいました。その際、自分のプレーだけでなく、チームとしてどのようにパフォーマンスを高められるかということを考えるようになりました。当時いなかったマネージャーになり、洗濯やドリンクの準備をしたり、試合前にはブルペンキャッチャーとしてピッチャーの投球を受けたりとチームのサポートに徹しました。これらの活動から主将に指名いただき、チームメンバーの一人一人が気持ちよく野球ができる環境づくりを心掛けました。結果として一緒に取り組んできた後輩達が徳島県秋季大会で優勝し、春のセンバツ大会に出場、甲子園では初勝利を挙げるなど、大きな目標を達成することができました。私自身が甲子園に立つことはできませんでしたが、後輩達にいい形でバトンを繋げたような気がしています。こういった組織の一人一人が活躍できる環境づくりを意識したリーダーシップは、高校野球に限らず、学友会での活動や社会人になってからも大いに役立っていると感じています。

 

              

Q.ゼミは山浦ゼミに所属されたのですね。


高校野球での経験や学友会での取り組みから組織論やリーダーシップ論に興味を持ち、山浦先生のもとで学ぶことで今までの経験を自らの強みとしてさらに磨きたいと考えていました。同時に高校性のときから体育教師になり野球部の監督になりたいという想いがあり、学友会活動や就職活動等と並行しながら、教職の単位取得や教育実習にも取り組みました。このように様々な活動に取り組めたのも、当時学友会の主要な役割を担っていたメンバーが積極的に組織に貢献し、主体的に活動してくれたことが大きな要因だと考えています。リーダーを務めるなかで、メンバーに権限と責任を委譲し主体性を持って活動をしてもらうことや、限りある資源(人、物、お金、時間等)を適切に配分し、チームのパフォーマンスをいかに効率よく高めるかといった選択と集中の視点は、組織運営においても非常に重要だと感じました。

 

  Q.就職活動やお仕事について、振返って頂けますでしょうか?


就職活動では「より多くの人々に役立つ事ができる仕事」という観点で、商品やブランドを通じて幸せを届けられる飲料や食品業界を中心にエントリーしました。結果的には第一希望でもあったキリンホールディングス株式会社から内定をいただき入社することになりました。入社後、一番衝撃的だったことは同期がすこぶる優秀だったことでした。同期とは半年間の研修期間で交流を深めましたが、彼らの今までの経験や取り組み、またロジカルシンキングやプレゼンテーション能力、語学力等、どの点をとっても超一流で日々劣等感を感じていました。そのなかでなんとか成果を出したいという強い気持ちを持って、外食産業の営業マンとしてがむしゃらに働き、お客様から信頼いただけるように様々な提案や取り組みを行いました。これらの活動が実を結び、多くの得意先にキリングループ商品を採用いただき、一番搾りを中心とした商品やブランドの価値を広めることができました。また社内では、支社でのクラフトビールプロジェクトリーダーを務め新たなビールの価値を広めたり、キリンビールの経営の土台となる中期計画を検討するプロジェクトに参加したりと多様な経験をさせていただきました。日々充実した毎日を過ごしていましたが、地元徳島県で体育教師として高校野球に携わりたいという想いから退職するという決断をしました。その際、職場の先輩や同期、後輩から温かく送り出していただき、未だに連絡をいただく方も多く、キリンで過ごした時間は自分の財産であると改めて感じています。

 

  Q.その後は、どのようなキャリアを歩むようになったのでしょうか?


キリンホールディングス株式会社を10月末で退職し、年次の節目である翌年4月から地元徳島県で教育関係の仕事をすることを検討していました。退職当時は具体的に仕事決まっているわけではありませんでしたが、高校時代の野球部監督にお声がけいただき、徳島県立鳴門渦潮高校の学生寮の舎監として働くことになりました。また働くまでの約5ヶ月では、車で日本を一周し各都道府県の観光地や世界遺産を巡ったり、世界一周旅行を計画し16ヵ国を訪れ各国の文化や歴史に触れたりしました。帰国後は、舎監として高校生の学生生活のサポートをしながら、野球部のチームスタッフとして活動をしました。コロナ禍での高校生活という難しさを感じながらも11日を大切に、2年間、生徒とともに寮生活を過ごしました。現在は徳島県立阿南光高校、徳島県立那賀高校の非常勤講師として、教壇に立って教員生活を送っています。

最後に、学生へのメッセージをお願いします。

一緒に挑戦を続けていきましょう。うまくいくことばかりではないですが、失敗を恐れず自らの可能性を信じて一歩を踏み出してほしいと思います。不安定な世界情勢で先が見通せない日々が続きますが、皆さんの挑戦がきっと社会を明るくするきっかけになると信じています。私自身、スポーツ健康科学部での学びを教育現場や部活動での指導に生かしていけるよう取り組んでいきます。最後に、皆さんの学生生活が充実した毎日になることを願っています。


※インタビュー及びプロフィールは、取材をした2021年10月時点の内容です。

PROFILE

富永 幹也

本学部 2 期生として、2015 3 月に山浦ゼミを卒業後、キリンホールディングス株式会社(キリンビール株式会社に出向)で約4年間外食産業への営業として勤務。その後、徳島県立鳴門渦潮高校で寮の舎監を経て、現在、阿南光高校等2校で講師を務める。大学時代は学生自治活動にあたる学友会中央常任委員会常任委員長を務める等、持ち前のリーダーシップを発揮し、立命館大学生の代表として学園運営に携わった。
戻る