金山ゼミがSANKEI EXPRESSに掲載されました!

Posted on 2012.02.10

産業社会学部金山ゼミが2月7日発刊のSANKEI EXPRESSに
掲載されました。
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-掲載記事要約-
2011年3月11日に発生した東日本大震災から丸1年が
経とうとしています。1万9213人もの死者・行方不明者
を出した未曾有の震災で、ラジオは震災後どのような
役割を果たしたのか、情報の伝達だけでなく、被災者
の心の支えにもなったのではないか、そして、その
ラジオは今後どうなっていくのか‐。
そんな疑問を抱えて、金山ゼミの有志学生記者が
宮城県のラジオ局および被災地を訪問し、実態を探り
ました。
被害の規模が大きかった今回の震災では、地域に
根ざしたコミュニティFMや災害FMのほうが給水情報や
支援情報をきめ細かく流していたという声がありました。
ラジオ石巻では、地震発生直後市内北部の日和山にある
送信所と局を結ぶアダプタの回線がトラブルを起こし、
一時は放送を中断しましたが2日後には放送を再開。
リスナーから寄せられた多くのSOSメールなど、緊急
および安否情報を拾って必死で放送をしていました。
それだけで一日の放送が終わってしまう日々が続いた
と言います。
震災の影響で様々な問題や課題に直面しましたが、
いかに「安定」した経営に戻していくか、が重要で
あるとラジオ石巻の関係者は語ってくれました。
また、今回の震災を受けて、宮城県山元町に災害FMの
ひとつ「りんごラジオ」が開局されました。山元町は
巨大な津波に洗われ、壊滅的な被害を被りました。
そんな山元町の仮庁舎に隣接したプレハブの小屋が、
「りんごラジオ」の事務所兼収録スタジオです。
金山ゼミの有志学生記者が訪問した際は、東北放送
元アナウンサーの高橋厚さんを中心に、6~7人の
ボランティアたちによって放送がおこなわれて
いました。臨時災害FMとしてたちあがった「りんご
ラジオ」は今まさに正念場を迎えており、継続する
ためには町民に必要とされるラジオ局にならなくては
いけない、また情報を町民自身が発信するという
意識が必要になるだろうと高橋さんは仰っていました。

金山ゼミの学生たちは、「京都三条ラジオカフェ」と
いうコミュニティFMで発信者として毎月2回9分間の
番組を制作しています。
震災の一週間後に第一回目の収録を迎えましたが、
世間は自粛の風潮。用意していた原稿はもちろん白紙に
戻りました。関西は東北から離れているとは言え、
公共の電波であることを考えると、何を話せば良いのか
もわかりませんでした。このとき、「発信者」となる
ことへの重みを感じ、大学生ながら強く使命感を味わう
こととなりました。
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この取材を通して被災地のラジオが教えてくれた
ことや、震災後のラジオの在り方が様々な角度から
明らかになったように思います。未だ多くの問題が
ある中で、被災地のラジオ局からは、町のために
貢献したいという想い、と同時に地域の活性化を
図っていこうという新たな決意が伝わりました。

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             <掲載記事>

 

 

 

 

 

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