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ピンチを楽しむ心意気。
アフリカ社会から学ぶ、
人と共に生きるネットワーク

先端総合学術研究科
小川 さやか 教授

Contents

コロナ禍における
研究について

ロナ禍において授業は
どのように進めているのですか?

私は独立研究科の教員なので、講義よりも院生の論文指導や調査研究の指導が主体になります。オンラインで指導する難しさを日々感じています。対面では、指摘した内容についてその場で院生の理解を確認できるのでスムーズに進むことが、メールでは長いメールの往復を何度もすることになります。Zoom等での面談もしていますが、その場で関連する文献を見せたり、院生による文献の引用や批判を確認したりすることも困難です。そのため時間はかかりますが、可能な限り丁寧に対応しています。また、院生にはフィールドワークに行けない期間を生かして書評を投稿する経験を積んでもらっています。学会誌に書評を投稿することは、院生自身のスキルアップだけでなく、学界で名前を知ってもらい、つながりを得るきっかけにもなります。論文を読むだけよりも目標があるほうが張り合いがありますよね。


化人類学ではフィールドワークが重要ですが、
コロナ禍により実施が難しくなりました。

現地で知る大切さについてはどうお考えですか?

フィールドワークを通じたリアルな経験は、文化人類学の研究にとって重要ですので、それができなくなったのはとても残念です。特定の研究テーマの下で「なぜこうなのか?」という切り口を見つける。それまで自明視していた自文化の当たり前と、現地での経験を往還しながら考察を深めることで、いろんな発見ができるのです。現在はなかなか出かけられませんが、ぜひフィールドワークを通じた研究の楽しさを知ってもらいたいですね。

拙著の『チョンキンマンションのボスは知っている:アングラ経済の人類学』※1も、私自身が香港へフィールドワークに行き、そこで暮らすタンザニア人たちの生計や商実践をエッセイとしてまとめたものです。現地で問いや切り口を発見し、理論と照らし合わせ、論を組み立てるという研究の過程が盛り込まれていますので、関心があったらぜひ手にとっていただきたいです。


書は第51回 大宅壮一ノンフィクション賞・
第8回 河合隼雄学芸賞※2を受賞されましたね。

光栄なことです。本書で開示しているタンザニア人たちの商実践や社会関係の築き方には、学生の皆さんには異質なものに見えるでしょう。しかし、現地の人々と生活を共にし、同じ時間や場所を共有することで、同時代性や実践的な論理の共通性が見えてくることも多いのです。大学だって同じです。それまでの人生で出遭うことのなかった人びとと交流する過程で、異質性や他者性にぶつかることもあるでしょう。分かりあうことができなければ、関わりあうことができないわけではありません。関わりあう中で、自身の当たり前を相対化したり、それとは違う生き方や考え方について思考を深めていくことが、皆さんの人生を豊かにすると私は思っています。

コロナ禍で社会の
仕組みはどう変わる?

ロナ禍の影響は、
社会の仕組みにも
及んでいるのでしょうか。

アフリカ研究をしていて驚くことは、零細な自営業者や日雇い労働者などインフォーマル経済の従事者たちのしなやかさです。不安定なインフォーマルな経済は真っ先に打撃を受けると思われがちですが、日本よりはるかに不確実な状況で暮らす彼らは、もともと窮地や危機に陥ることを織り込んだ経済や社会の仕組みを築いていました。複数の仕事を同時に模索することでひとつの仕事が立ち行かなくなっても他で食いつないでいく仕組みや異業種の柔軟な結びつきがあるのです。コロナ禍で海外との貿易が困難になった商人たちも、それまでに築いたネットワークを生かして今できる仕事へと鞍替えしたり、異業種との連携を駆使して新たな仕事を創造したりしています。危機をどう乗り越えるかは、日々の社会関係とともに考えていく必要がありますね。


ンフォーマル経済がコロナ禍でも強いのは、
人と人のつながりがあるからなのですね。

そうですね。また、ICTとの親和性が高かったことも重要だと思います。ギグエコノミーをご存知ですか?インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方のことで、ウーバーなどのライドシェアがその代表です。企業に縛られない自由な働き方として注目を浴びましたが、企業に雇用された場合のような保障がないことや収入の不安定さなどから、先進諸国では懸念の声も多くあります。それに対してアフリカでは正規雇用は少ないし、個人操業の自営業が多く占めるインフォーマル経済は、最初から保障などありませんでした。だからギグエコノミーは彼らの働き方を拡大するものとなりました。インフォーマル経済は、むしろギグエコノミーのアイデアの源泉なのです。髪結い師やネイルアートの行商人がICTと結びついて「出前サロン」になったり、ウーバーイーツならぬ「ウーバークリーニング」ができたりです。コロナ禍で人と人が対面できなくなった状況で、インターネットをどのように取り込めるか、考えるのは楽しいですね。


段の人間関係においては
いかがでしょうか?

コロナ禍によりオンライン化が進んだことで、寂しさを感じると同時に人間関係の面倒さに気づいてしまった人も多いのではないでしょうか。そこで、なぜ面倒だと思ったのかを考えることが、新しい社会を作るうえで必要だと思っています。人間関係はいつの時代でもどの社会でも悩み事の重要な部分を占めていますが、その質は違うでしょう。サークルのオンライン飲み会に気が乗らないのはなぜかを考えてみると、空気を読んだり、キャラを演じたり、ささいな失言で取り返しがつかなくなる関係が重かったり、何か思い当たるのではないでしょうか。嫌だなと思うなら、何をどう変えられるかを実験してみてください。危機は、規範や常識がかき乱される時ですから、あれこれ理由をつけて変えてしまうチャンスでもあります。

いま、私達にできることはなにか

のような状況下で、
私達にできることは何でしょうか。

私は「するべきだ」「してはならない」という言葉が好きではないので、学生の皆さんには「好きにやっていいよ」と言えるようにしたいですね。大学は、いくらでも失敗ができるところであって欲しいと思います。タンザニアの人たちは、小さく騙される経験を積むと「これはやばいぞ」という勘が働くようになったり、その場を切り抜ける知恵がついたりするとよく言います。また彼らは、窮地に陥った人を見ておおらかに笑うんですよ。日本では、窮地に立たされて逆切れしたり見苦しい言い訳をしたりする人をみて、この人は実は怖い人間だ、弱い人間だと考えたり、自分でもそう思われることを恐れたりしがちです。でも日本より多くの危機を経験するタンザニアの人たちは、窮地の失敗を「本性」だとは思わず、窮地を切り抜ける賢い知恵、したたかな変身だとみなす。だから笑われた人も「私って、おもしろいでしょ、人間くさいだろう」と一緒に笑えるのです。日本人はピンチを怖がりすぎる傾向がありますが、失敗に対して寛容な社会になれば、もっと世の中は柔らかくなるのではないでしょうか。


ンチだからこそ
楽しむ気持ちを忘れずに、
ということですね。

コロナ禍でキャンパスに行けない、友達を作れない、受験勉強を頑張った後になぜコロナなんだ!と不運を嘆いている学生も多いでしょう。私は、就職氷河期を経験した「ゼロ年代」にあたりますから、不遇を嘆く気持ちはわかります。でも不遇な世代は、独創的な活躍をする人も多いといわれます。だから、どうか不運だと思わず、この窮地をどう生かすかを一緒に考えましょう。学生の皆さんのアイデアは本当に面白いです。オンライン授業が始まってすぐ、課題を助け合う仕組みや書籍を貸し合う仕組みができていました。小さなことでもアイデアを積みかさねるうちに、大きな変化を巻き起こせるかもしれません。そして鬱々とした日が続きますが、自分に優しくしてあげてください。自罰感情や他罰感情に縛られると、生きにくくなってしまいます。それまでの方法では立ち向かえない窮地では、いかに自他に優しくなれるかが融通のソリューションを生みだす第一歩ですからね。

取材日:2020年7月29日

Message

失敗を恐れず、
ピンチを楽しむ心意気を持って 、
たくましく生きてください。
豊かな知恵を生かして、
面白い社会の仕組みを考えていきましょう。

Profile

小川 さやか教授

所属 / 先端総合学術研究科

専門分野 / 地域研究 、 文化人類学

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