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土肥 秀行 先生(文学部)

2019.07.01

【研究テーマ】

イタリアの現代文学(特に方言詩)
キリスト教伝来時・開国以降の日伊関係
捕虜の世界史(板東俘虜収容所、強制収容所)

【選書テーマ】

わからない、答えがない、ネット検索しないための本

専門はイタリアの現代文学ですが、あまり専門にこだわらず、学生のみなさんにむけて選んでみました。ほんの数年前までのスマホがない時代には、ネット検索はそれほどメジャーではありませんでした。よく「わからない」と思っていたものでした。そんな「わからない」を体験しに読書してみませんか。本にあふれるわからなさに検索ワードはありません。


『完本マイルス・デイビス自叙伝』
マイルス・デイビス, クインシー・トループ 著; 中山 康樹 訳 (JICC出版局、1991)
<弱気なときにオススメ>

何者にも勝るマイルス(1926-1991)の「俺」は、よく人々の無理解に遭った。ジャズに留まらない音楽の追究において、あまりに先鋭的、突っ走りすぎたために、果ては独り空っぽになって1975年から5年間「ひきこもり」引退生活を送ることになった。そんな彼がわからなかったのは、自分の一番の友人が、人種的にはあんなに嫌いだった白人であること。編曲者のギル・エヴァンス。苦し紛れの弁明として、「あいつはカナダ人だから」とうそぶく。

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『燃えあがる映画小屋』
吉増 剛造 著 (青土社、2001)

紹介のみ  所蔵無 

『我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ!』
吉増 剛造 著 (講談社、2016)

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<新たな刺激を求めているときにオススメ>

『燃えあがる映画小屋』には、全身詩人・吉増剛造(1939-)による、映画体験からほとばしり出た詩、評論、対談が集められている。吉増氏自身、写真や映像を撮る。文字媒体であっても視聴覚媒体であっても一貫しているのは多重性で、ひとつの存在がぶれる、複数の存在が幾重にも重なる、といったことが起こる。本来的に、言葉とは、その意味がとらえきれないものであることを思い起こさせてくれる。「燃えあがる映画小屋」からうけとる火のイメージ、それは生じては消えていく連続体であり、言葉も然りであった。吉増氏が詩的に自由に自らを語る『我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ!』も手にとってみてほしい。


『流れよわが涙、と警官は言った』
フィリップ ・ K ・ ディック 著; 友枝 康子 訳 (早川書店、1989)

紹介のみ  所蔵無 

『Five novels of the 1960s & 70s / (The library of America ; 183)』
Philip K. Dick 著 (Literary Classics of the United States、2008)
※原書Flow my tears, the policeman saidを含む作品集です。

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<落ち込んでいるときにオススメ>

最高に格好いいタイトルである。思わずタイトル買いしたくなる。格好いいといっても、フィリップ・K・ディック(1928-1982)の作品群はSFという気がしない。たしかに「SF作家」であろう、しかしファンはジャンルものとして読んではいない。ではどうとらえているかというと、中二病のように、ここにはいない自分を求めて、どこかに逃げ出したい自分を肯定するはけぐちとして、である。「それでもいいんだ」と自分をなぐさめるために読む。ゆえに作品は古びることがない。


『ショアー』
クロード ・ ランズマン 著; 高橋 武智 訳 (作品社、1995)
<こもり気味のときにオススメ>

9時間越えの映画、クロード・ランズマン監督(1925-2018)『ショア』(1985)の全証言の書きおこしである。いまやアウシュヴィッツ、ホロコーストについて最も参照すべき映画・本となっている。扱う対象はいいえなさの極致だが、映画は不思議と詩的である。時間を忘れて見続けていられるのは、証言そのものだけでなく、詩的要素(水と森と人間)がちりばめられているからだろう。さらにひきつけられるのが、それぞれがそれぞれの言語で語るペンテコステ的多言語的状況だ。ポーランド語、ドイツ語、イディッシュ語、ヘブライ語、英語、仏語・・・イタリア語まで出て来るのには驚いた。それもコルフ島のギリシャ系ユダヤ人、つまり戦中のイタリア占領民の口から。

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『小津安二郎の反映画』
吉田 喜重 著 (岩波書店、1998)
<理屈にあきあきしているときにオススメ>

世界中の映画ファンから熱い視線を浴びせられ続けるオヅ(1903-1963)が、「反映画」とはいったいどういうことか。小津さんが、松竹で後輩監督である吉田喜重(1933-)にむけて放った言葉、「映画はドラマだ、アクシデントではない」とはいったいなにを意味していたのか。余りにわからないことだらけなので、逆にセンター試験の問題文になってしまったのかもしれない。

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『パゾリーニ詩集』
ピエル ・ パオロ ・ パゾリーニ 著; 四方田 犬彦 訳 (みすず書房、2011)
<人々との接点がないように感じられるときにオススメ>

詩人パゾリーニ(1922-1975)に「俺」は似合わなかった。頻繁に「俺」と、四方田節が応用された訳文にある。たしかに憤り(『イタリア共産党を若者の手に!!』)や孤独(『掘削機の涙』)が、彼の詩の基調になっている。と同時に、どこか寂しいやさしさ(とやましさ)がある。それは決してオープンにしない同性愛と同様に内にしまわれている。パゾリーニは、表現しながらも、隠しておきたくなるジレンマを感じていた。だから自分の言葉ではない方言で詩をかきはじめてしまったのだろう(詩集『最高の青春』)。その方言とはイタリア北東部に位置するフリウリ地方のものである。それにしてもなぜ言いたいのに言いたくないのだろうか。

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『カンティ』
ジャコモ ・ レオパルディ 著 ; 脇 功、 柱本 元彦 訳(名古屋大学出版会、2006)
<周囲との違いが気になるときにオススメ>

このリストで唯一の古典、といっても19世紀前半なのでそれほど古くはない。ジャコモ・レオパルディ(1798-1837)は、こんにちでも学校で学ばされる規範詩人であるのに、トラウマとして残らず、嫌われもせず多くに親しまれ続ける唯一の存在だ。それはきっとネガティブな存在だからである。教訓もなく、「生も死も同じ、ならばなぜ生きるのか」との、誰もが感じる問いがあるだけ。しかし不思議とどこかポジティブである。レオパルディは、決して自死しそうもない、熱烈なネガティブ野郎である。だから軍国主義の暗い影を感じていた戦前の日本の読者層からも激しい共感が寄せられた。

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『闘いの変奏曲(ヴァリエーション)』
アメーリア ・ ロッセッリ 著; 和田 忠彦 訳 (書肆山田、1993)
<物語が頭に入ってこないときにオススメ>

アメーリア・ロッセッリ(1930-1996)反ファシスト亡命者の娘としてパリに生まれ、北米で育ち、戦後はローマに移り、やがて同地で自死をむかえる。根無し草のユダヤ人「異者」の自分を抱えながら、「異語」であるイタリア語で書かれることになる詩に、すべてをおとしこんでいく。だから自ずと詩は、「極端が同居する分裂症的な私」同様、コントラストをなす変奏の重ね合わせと、唐突な中断でしかなくなる。詩でしかありえない表現がここにある。

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『ある家族の会話』
ナタリア ・ ギンズブルグ 著; 須賀 敦子 訳 (白水社、1985)
<日々の生活にアクセントがほしいときにオススメ>

個人的にはイタリア文学を学ぶきっかけとなった小説である。そして折に触れ読み返しては、いまだに新たな発見をしている。のちに作家として有名になった須賀敦子(1929-1998)にとっては、訳すことで「声をみつける」きっかけとなった本である。つまりこの翻訳体験から、自ら書く作家に転じた。ナタリア・ギンズブルグ(1916-1991)によるこの作品は、彼女が育ったイタリア系ユダヤ人家庭内のジャーゴンにまつわるエピソードの連なりであり、内輪話が普遍的にうける例となった。それにしても須賀の文章はなぜ美しい日本語とよく言われるのだろうか。この作品では、訳文であるとはいえ、その後の須賀作品にもあてはまるような、決して叙情に堕しない抑揚と硬質さが際立つ。 (※図書館に所蔵はありませんが、キャンパス内にある「文献資料室」にて貸出できます!

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『Giorni lontani: appunti e ricordi』
Paolo Vita Finzi著; (Bologna, Mursia, 1989)
『遠き日々―記録と記憶』
パオロ ・ ヴィタ ・ フィンツィ 著 (ムルシア社、1989)
<原書なのでイタリア語学習にオススメ、でもちょっと凝った言い回しや皮肉が理解しにくいか>

イタリア北東部のユダヤ人名門家庭に育った、外交官兼パロディ作家のパオロ・ヴィタ・フィンツィ(1899-1986)の自伝。有能な外交官であったので、ファシズム体制を支える。1938年のヒトラーの初イタリア訪問時にも裏方として奔走した。であるのに直後にイタリアでもはじまった人種隔離政策により、人種法を根拠に職を追われそうになり、南米ブエノスアイレスに移住する。戦後に職場復帰を果たし、ローマに戻る。ヴィタ・フィンツィがわからなかったのは、エリート外交官でしかもファシスト党員であった自分が、なぜそんな目に遭ったのか、ということだった。

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