「利他」の心を教育に:山中司教授

稲盛研・研究者インタビュー#4


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「稲盛研・研究者インタビュー」企画は、稲盛経営哲学研究センター(稲盛研)で研究員をされている先生方に、自身の研究内容や、稲盛経営哲学との関わり、「利他」について語っていただくインタビュー企画です。立命館大学の学生が記者となって、「利他」と研究のつながりを探ります。第4回目となる今回は、立命館大学生命科学部の山中司教授にインタビューを行い、山中先生の「利他と教育」についての研究や、SDGsと利他のつながりについて伺います。(取材日:2020年9月1日/聞き手:吉武莞・一瀬優菜)

「利他」こそ教育に

山中先生は立命館大学で、言語や言語教育、言語哲学などの分野を専門として研究をしておられます。英語教員として、コミュミケーションを重視した「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」を実施するほか、一般教養科目「SDGs表現論」を担当されるなど、教育活動に力を入れておられます。稲盛研で「利他」の研究に関わったきっかけはなんですか。


私は稲盛研で活動されている先生方の多くが専門としている経営学の専門家ではありません。簡単に言うと、私は教育分野の人間です。私が立命館大学生命科学部・薬学部で担当している「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」の授業では、コミュニケーションを重視し、自身のプロジェクトを発信していく形の英語教育を行っています。

そんな中で、稲盛研で研究をされている倉石寛先生や金井文宏先生に、PEPの授業に関心を持っていただきました。先生方が研究をされている、稲盛和夫先生の提唱する「利他」という考え方に私もとても共感し、教育との関係性について考えるようになりました。そして「利他」の考え方教育分野でもっと広まって良いのではないか、というのが私自身の根本的な問題意識となっていきました。

「教育」に対して、稲盛先生が提唱されている「利他」の考え方をどのように適用できるとお考えですか。


「利他」の考え方は「自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方」です。人のためにするという文脈はむしろ教育の分野でもっとしっくりくるべきだと考えています。稲盛先生はそれを経営の分野で実施されていて、とても凄いことだと思います。「他を蹴落としてなんぼだ」と言われている経営の世界で「利他」を提唱されているのはとても素晴らしいと思います。

むしろ教育では、「利他」の考え方をしっかりやるべきだと思っています。しかし教育の中で利他が語られるかどうかで言えば、そんなことはありません。稲盛先生が「利他」を語っている中で、学校教育の中でそれを取り入れようとしているところあるかと考えれば、リタラボなどを除くと、ほとんど無いと思います。それに基づいて、どんなことができるのかというのが基本的な問題意識です。

「利他」の教育的意義を証明したい

具体的に先生が行っている研究プロジェクトを教えて下さい。


私が稲盛研で行っているプロジェクトは主に3つです。1つ目のプロジェクト「教育的ダイナモとしての『利他』精神の言語哲学的考察とその還元:大学英語教育を例に」は、先程述べた、教育における利他についての研究を行っています。

簡単に言うと、小学校などでよく「教え合い」などが行われていると思いますが、できる子ができない子に教える形ですね。これはいわゆる「利他」の1つの形だと思いますが、私はこれを本質的には利他でないと考えています。

言語やコミニケーションを専門とする背景から考えると、自分が自分の知らない人に教えることは、もちろん相手のためとは言え、コミニケーションとしてはとても不健全であるように思います。教えられる側は一方的に教えてもらうことになっていて、自分ばかりが教えてもらっていては申し訳なくなるし、何も役に立つこともなく、一方的に教えてもらって終わることは、普通のコミニケーションであれば存在しませんよね。できない子は一方的に教えてもらい、できる子は一方的に教える。できる子にとっては知識の再確認にはなりますが、大きな得はありません。

先生の教え方がものすごく上手であれば、誰かに教えさせる必要もありません。つまり先生の教え方を補っているという要素が今の「教え合い」だと考えています。本質的な「利他」が教育の面において実現されているとは思っていません。じゃあどうあればいいのかというと、なかなか答えがあるわけではなく、模索しているところです。

そのように考えていくと、利他の深さを感じます。「利他」のキーワードで、教育の方法論ができて、それが小中高大などの教育機関に、一般的な教育メソッドとして存在する。それが非常に重要ではないかと思っています。また一方で非常に難しいとも思っているので、研究をしながら模索しているところです。

稲盛先生の「利他」の考え方の深さが、研究を通して深まったのですね。


私としては、利他を教育の方法論にしたいと思っています。人のために何かをすることが、組織や学習成果、人間関係など様々なところで効果があると思います。表面的な教え合いや利他ごっこではなく、人の為に尽くした方が、結果的に自分に良いように返ってくる。それを証明したいと思っています。

例えば学習塾などでは、他を蹴落として上に行こうとするような環境がありますよね。これは教育の本来の姿ではないと考えています。「利他」という言葉が仏教用語でもあるように、日本人は本来、利他的な素質や考えがあるはずです。しかし、本当の意味での利他は、教育で実践できていないのが現状なのではないかと考えています。

私は教育の分野で、この利他という考え方を生かせないかと考え、日々研究しています。

「感謝する」ことは幸せになる

2つ目のプロジェクトは短期留学プログラムにおける感情変化に関する研究「Assessing changes in mood state in college students following short-term study abroad」ですね。このプロジェクトについて教えて下さい。


2つ目の英語教育についての研究プロジェクトは、同じく稲盛研に所属されている山岸典子先生との共同研究で、短期留学を経た学生の感情状態の変化を定量的に評価するというものです。

私自身、英語教育をする一方で、本学の国際部に所属し、立命館大学の学生の留学プロモーションに携わっています。私が携わっているプログラムで、立命館には「Global Fieldwork Project」というプログラムがあり、これは超短期間で東南アジアに渡航する留学プログラムで、毎年全学部から200名程度の学生が参加しています。そのプログラムの効果を、利他的に量ってみたいと思ったのが研究の始まりです。

私は哲学的に物事を考えてますが、山岸先生はサイエンスの立場から、利他的なものを見える形で定量化してみようと仰っていただき、多くのアドバイスを頂いています。

結論を言うと、「利他」を測定することは非常に難しいというのが現状で「人のために何かをすること」を定量化するのは難しいが、「感謝すること」は測定できるのではないかと、アドバイスをいただき、研究を行っています。

心理学の世界では、感謝に関する様々な指数や指標、アセスメントの方法があります。感謝することが利他に繋がるという観点から、感謝の数値化に挑んでいます。今回の場合、例えば「海外留学プログラムに行った学生は感謝するようになるのか」です。まだ研究は途上ではありますが、最終的には海外留学プログラムを通じたコミュニケーションによって「利他的に振る舞うと、教育的に好影響があるのか」を研究し、いずれは利他の教育的な解明していきたいと考えています。

3つ目のプロジェクトは、先程の、利他を感謝の尺度で量るという、「感謝日記」の効果に関する研究ですね。


3つ目のプロジェクト「入学前英語教育における感謝日記の効果:利他を感謝の尺度で量化・実証する取り組み」は、これも山岸先生と共同で行っているものです。

このプロジェクトでは、高校生を「その日の感謝日記」を書くグループと「その日あった良かったこと日記」を書く2つのグループに分け、9週間の日記を書くよう取り組んでもらいました。その実験の前後を比較した際に、どのように心理的な数値的変化があるのかを見ました。

この研究を通して、利他にいずれ繋がるであろう「感謝をする」ことを意識的にすることによって、Well-beingが高まるのか、幸せになるのかを解明したい。それができると、利他を可視化するということに間接的に繋がるのではないかと考えました。道のりは遠いですが、教育という立場から稲盛先生の考えを活かしていきたいと考えています。


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利他的になれば自分も学ぶ

今のお話の最後にもありましたが、将来的に「利他」の考え方をどのように教育に展開していきたいと考えていますか。


私としては、利他を教育の方法論にしたいと考えています。人のために何かをすることが、組織や学習成果、人間関係など様々なところで効果があると思う。またそれを実証していきたい。稲盛経営哲学そのものが、企業でのマネジメントや企業人を相手にしていて、稲盛研でも企業研修などの研究を行っています。しかし教育の世界でも同じことが言えると思います。人のためにやってみよう、人のためにやっていいんだということは、教育の世界でもっと強調されて良いことだと思っています。

教育の分野でも、もっと利他が追求されて、教育における利他が何なのかを、方法論化することができたらいいなと思います。そうすると、日本が発信できる数少ないコンテンツになり得るのではないかと思っています。

先生は実際の教育において「利他」の考え方の必要性を感じる場面はありますか。


利他の考え方の方法論化はやはり難しいですが、とても大事な点だと思っていいます。理由としては、人のために何かをするということは実はものすごく大変なことであるからです。

私が博士号を取った際「二度とこんなに勉強はしない!」と思ったほどに、ものすごく大変でした。しかしその後、大学の教員として教育に携わり、学生たちの研究支援に尽力する中で、とても頭を使っています。学生たちの発表内容は「自分のこと」ではないので、詳しくないし、わからないこともあります。ですが、学生の研究にとって良いことをしてあげたい気持ちや、少しでも学びが前進してほしいという「利他的な気持ち」でアドバイスをしようとすると、とても頭を使うのです。結果的に自分が1番学びます。

これを踏まえると、利他的に振る舞うということは、自分の学びになることを感覚的にわかっていて、それを言語化する必要性を感じています。

利他的に振る舞うということは、本当に自分が学べるということ。これは、戦略的にも正しいやり方だと思います。自分のためにやる以上に、人のためにやったほうが近道になるのです。実際問題、人のためにやった方がコミュニケーションを活性化しますよね。これらを自分だけの感覚で終わらせたくないなという思いがあります。

その人を励まそうとする気持ちや、その人を良いほうに導こうとすると本当に頭を使うし、考えます。一方で、簡単に「こんなものはだめだ」などとすぐに否定する人もいますよね。それはある種かっこいいのかもしれないけれど、その人は何も学べません。私としては、その人の力不足だなと感じます。いくら評価するものがダメに見えても、何とか利他的に何かできないかと、そこでなんとかするのが教育的には必要です。

企業ではもちろん、すべての企画を通してはいられないのでボツにすることだってありますよね。ですが教育では、少なくとも「ダメ」とは言わなくてもいい。むしろ教育の方が「利他」を適応できる、やれることがあるのではないかと思います。

SDGsは利他を引き出すキーワード

立命館大学の一般教養科目「SDGs表現論」では、学生たちが自身のSDGs*に関わるマイプロジェクトをみつけ、発信をしていくという授業を展開されています。「SDGs」と「利他」の親和性はあるでしょうか。


SDGsは、簡単に言えば、基本的に良いことをやっていますよね。SDGsは17のゴールからなり、社会課題解決を行うべく様々な活動が世界中で行われています。これを人類にとって損だと言う人はいません。何かを良くしようとしているのです。つまり、SDGsに関係するプロジェクトは聞いている側として応援したくなります。自分が利益を得るだけのプロジェクトならば「勝手にすれば良いじゃん」となりますが、「SDGsの達成に向けて頑張っています!」となれば応援したくなりますよね。そうなると利他的になりやすいのではないかと思っています。

何かいいことを考えている相手に対して、何かをしてあげたいとなる。SDGsは「利他を引き出す」という意味で非常に良いものだと思います。当然、SDGsのような大きな目標を達成しようと思ったら、1人でやるのではなく大勢で取り組んでいく必要があります。そうなると必然的に利他的でないといけなくなるのです。

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「SDGs表現論」の授業の中でも、そういったことは感じられましたか。


利他の考え方の方法論化はやはり難しいですが、とても大事な点だと思っていいます。理由としては、人のために何かをするということは実はものすごく大変なことであるからです。

「SDGs表現論」の授業の中でも、「人のために」という考え方や、人のコメント、人とのコミニケーションがとても大事だと改めて感じました。

もともとSDGsに関心がある子は自主的に何かやっていますよね。すごい子はすごい。私自身はそこに関心があるわけではくて、まさにSDGsの理念として「No One Will Be Left Behind:誰1人取り残さない」と掲げられているように、「全員」が1つのキーワードとなっています。授業の中では60人ほどの受講生がいて、60人もいればすごいプロジェクトは1つか2つは出るだろうと想定はしていました。そこではなくて、全員が自分らしくマイプロジェクトを展開してくれるのか、という点がこの授業のポイントでした。

そこで改めて思ったのが、みんなそれぞれ「語る」ことができるし、一人ひとりの興味関心がある。意外だと思ったのが、実際に学生たちが発表して、お互いにコメントをしている姿をみて、学生たちは、お互いがお互いに対して興味を持っていると感じました。何を考えているのか、何をやっているのかなど、つまらないことなど1つもないなと。そして全員が関与していけるような環境を作ることが大事と思いました。一人ひとりの興味関心に根ざして、やりたいことに対して感化させていく。友達に影響受けながら、自分自身を成長させていく。そうことをできるのも教育の素晴らしい点であり、その方法を教育者である私たちが準備できるのかが重要なんだと改めて感じました。全員が学び、活躍できる教育ができると思っているし、そういったものに少しでも近づいていけるのではないかという可能性を感じています。

「最後に、教育において「利他」を実証し、教育論として展開することの先にある未来とは何か、お聞かせください。


私自身明確な答えがあるわけではありません。大学は、これまで体系づけられた知識の遺産を次の世代に伝えていくという側面がありますよね。ですが、簡単に言うとそれだけではダメな時代が来たなと思っています。

今日の新型コロナウィルスの感染拡大もそうですが、考えられないことが起きてくる時代です。そうなってくると前の状態にはもう戻せません。そうなったときに新しい形を考えていくしかないですよね。

そんな時代において私たちは、どのように振る舞っていったらいいのか。それは、教員も学ぶ、学生から教えてもらう、お互いのことを考え、思いやりを持つことだと思います。

お互いそれぞれに関心を持って、その興味関心をサポートする。そうすることは自分の知識を広げることにもなります。自分1人ですべてのことをできるわけではないので、いろんな人を巻き込みながら、プロジェクトを成長させていく。利他的になりながら、その都度起こる、学問ではない側面から来る問題への解決が不可欠になってくると思います。

「利他」というのは、人のためになるからという側面だけでなく、すごく戦略的な話なのではないでしょうか。利他的に振る舞うというのは、賢く生きていく上で、実はとても有効な方法だと思います。先のSDGsの話もそうですし、これからの何が起こるかわからない時代にも対応できるものです。躊躇している暇はなくて、次は何をすべきかと考えていく必要があります。その時に教育的な方法論が必要であって、そこで「利他」という切り口が1つのキーワードになるのではないかと期待しています。

プロフィール

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山中 司 氏

立命館大学 生命科学部教授/ 稲盛経営哲学研究センター 研究員

1979年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。博士(政策・メディア)。北陸大学非常勤講師、立命館大学講師・准教授などを経て現職。専門は英語教育政策・教授法、言語コミュニケーション論、言語哲学(プラグマティズム)。立命館大学国際部の副部長として全学のグローバル化に邁進する一方、大学英語教育改革に邁進する英語教員として、コミュミケーションを重視した「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」を生命科学部・薬学部にて実施する現役の大学教員・研究者。著書に『自分を肯定して生きる プラグマティックな生き方入門』海竜社(2019)など。


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