2008年11月8日 (第2875回)
応仁の乱 ―寺社の被災と再建―
文学部 教授 川嶋 將生
応仁・文明の乱は京都を焦土と化したといわれる。内乱はおよそ10年にわたって京都を中心として繰り広げられ、またその後の戦国時代の到来によって、京都はたしかに甚大な被害をうけたことはまちがいない。被害は市中ばかりではなく、洛中洛外に点在する多くの寺社にまで及んだ。したがって内乱終結後の寺社にとって、伽藍をはじめとする再建をどのように果たすか、ということが大きな問題としてのしかかってきた。
しかしながら、再建に至る過程を具体的に知ることができる事例は、さほど多くはないが、少ない事例として清水寺と稲荷社をとりあげ、再建過程をみていくと、願阿弥や福阿弥といった勧進聖が大いに活躍していたがわかる。勧進といえば、東大寺再建に大きな力を振るった重源がすぐさま想起されるが、15・16世紀段階においても、なお寺社再建に勧進聖の活動が大きな力となっていたのである。今後さらに戦国時代における勧進聖の具体的な活動を、掘り起こしていく必要があろう。