2010年9月18日 (第2950回)

司法過程とコミュニケーション:取調べ、弁論そして評議

成城大学法学部 教授 指宿 信

 昨年5月に裁判員法が施行され、8月から裁判員裁判が始まりましたが、これほど刑事裁判に国民の目線が注がれたことは戦後なかったと言えましょう。 国民の裁判参加は世界の先進国では「当然」のことであったのですが、それがようやく日本でも始まりました。 そのことは、これまで法律専門家のあいだだけで研究されていた司法や刑事手続に、様々な学問分野が関心を寄せるきっかけにもなりました。

 今回の土曜講座では、わたしがヘッドを務めています、心理学、言語学、情報工学と法学者による共同研究チームのいろいろな成果をお伝えしたいと思っています。 法律学の研究だけではわからなかったいろいろな司法にかかわる課題が異分野の研究者の取り組みによって明かとなり、まったく新しいステージが開けてきています。 わたしたちはこうした異分野の取り組みを「学融」(学際ではなく)と呼んでいます。この言葉は立命館大学のサトウタツヤ教授の提起された新しい学問スタイルです。 京都は常に日本の学問の発信地でありました。それに相応しい革新的な学問論を展開してみたいと思います。

聴講者の感想

 そもそも人が人を裁くのはとかく難しい。司法の場で慎重かつ公正な審理を重ね、誤りなきを期す所以はここにあろう。 即ち、法に拠る裁きには先ず真実の解明を要するので、そこに異なる専門分野の総力を結集して成果を導くのは画期的と見られる。 これにより強要は排除され公平を優先して糾明する過程で、法と証拠に基づき評議を尽くして理非が糺されるであろうとの印象が強い。