2011年4月2日 (第2971回)
歌姫あるいは闘士 ―ジョセフィン・ベイカーとアメリカの黒人差別―
文学部 客員教授 荒 このみ
ジョセフィン・ベイカー(1906-75)は、アフリカン・アメリカンのダンサー・シャンソン歌手として、1925年にパリで国際的に名を知られるようになりました。第一次大戦後の20年代はパリ・ベルリン・ニューヨーク・上海などで自由で豊かな文化の発現を見た時期です。30年代にかけて世界で一番金持ちの黒人女性になったと言われたJBですが、30年代半ばに祖国アメリカ合衆国へ10年ぶりに里帰りしたときには、黒人差別のひどい現実に直面しました。死の直前でも「ヨーロッパではパフォーマーだが、アメリカではニグロにしかすぎない」と語っています。
30年代のパリは世界の中心的地域で、ユダヤ人差別反対運動が盛んでした。ユダヤ人と結婚し、フランス国籍を取得したJBはこのような世界の動きに目を向けます。40年代、レジスタンス運動を支援し、50年代にはアメリカ合衆国の黒人差別撤廃へ向けて熾烈な闘いに挑みます。戦後、大磯のエリザベス・サンダースホームから二人の日本人の男の子を養子に迎え、他の人種の子供たちと一緒に「虹の家族」を築きます。幼児のころから人種の壁を取り除いて育て、人種差別のない世界にしたいというJBの夢のあらわれでした。聴講者の感想
アメリカの黒人差別の歴史を、1人の歌姫の人生から聞かせていただき、ありがとうございます。”民主主義の国”アメリカの自己矛盾の中身の一端を見ることができました。
今月のテーマ「戦争からの人間存在の回復」ですが、戦争だけでなく、そこら中で現在も人間存在が損なわれていると思うのですが、今後の講演も期待したいです。