2011年4月23日 (第2972回)
慰問誌『銃後の京都』にみる戦時下の京都
埼玉大学教養学部 准教授 一ノ瀬 俊也
古本屋などで、昭和戦中期の各市町村などが作った「慰問誌」を入手することがある。慰問誌とは、その地域から戦争に行っている兵士たちを慰問するため、地域のニュースや児童の絵、作文などを掲載した雑誌をいう。
慰問誌を読むと当時の銃後社会の様子がわかって興味深いのだが、子どもたちの作文を読んでもいろいろ考えさせられることがある。子どもたちの作文と言えば、教師が手を入れて純真な子どもらしい文章を〝改悪〟してしまうというイメージがある。しかし、実物をみるとそうとも言えず、たとえば「無言の凱旋を待っています」といったものがある。これは当時の日本であっても「兵士の士気をくじくことになるので望ましくない」とされていたが、何しろ児童の純真な心情であるから手を入れることは出来なかったのであろう。
自らの体験から当時の子どもたちが戦争の被害者というのは当たらない、子どもたちこそ大人たちを戦争へと引っ張る「督戦隊」であったと述べたのは児童文学者の山中恒氏であったが、たしかにそうなのだろうと思わされたことであった。
聴講者の感想
戦時中のいわゆる雑誌についての解読をしていただき、興味深く聞かせていただきました。異常時は情報をコントロールすることにより、国民の意識をもコントロールしていくことがよく分かりました。現在も同様で、情報を有利に提示することが、特にインパクトを持って提示することが、世の中の流れを作っていく。それが良いのか悪いのか、正しい判断ができる知識を持ちたいものです。