2011年4月30日 (第2973回)
「アウシュヴィッツからの回復」 プリーモ・レーヴィの場合
立命館大学文学部 教授 竹山 博英
トリーノの町は碁盤の目のように、東西、南北の道が直角に交わり、整然とした町並みが形成されている。特に中心街がそうなっていて、由緒ある教会や歴史的建造物に並んで、優雅なカフェが建ち並び、独特の魅力を形成している。プリーモ・レーヴィはこうしたトリーノの町で生まれ、育ち、生涯同じ家に住み続け、その家で死んだ。それも自殺という劇的な形で。
プリーモ・レーヴィのことを考えると、彼の住んだトリーノの町を思い浮かべてしまう。彼はその町と同じように、端正で明快な文章で作品を書いた。その作品は、小説も評論も、物事の本質を見抜く理性的立場に支えられている。彼の世界には曇りがない。それがプリーモ・レーヴィが与える印象だった。そうした印象は彼の自死によって覆されてしまった。彼の世界は明快さと裏腹の影の部分を持っていた。そうした影の部分はさらに分析する価値があると思う。アウシュヴィッツから帰還したものが、いかに死の世界を克服し、現実社会に適応できるのか。彼の死はそうした難問を多くの人に投げかけているのである。
聴講者の感想
今回の講演会では、負の歴史について、特定の個人を主題とし、言及していくことで、アウシュヴィッツの悲劇やそこから生まれる人生観について、具体的に理解することができました。
先ほど質問された方もおっしゃっていましたが、日本では年間3万人の自殺者が出ており、この数値は国内全体の自由が奪われ閉塞的になっている、形は違えどファシズムを思わせる面もあると思います。私の世代は戦争とは無縁の時代に生まれ、想像力だけでは戦争について理解に苦しむ面があります。このような講演を通じて今後戦争の意味についてあらためて考えていきたいと思います。