2012年10月6日 (第3032回)
ケインズ『一般理論』を読む
立命館大学国際関係学部 教授 高橋 伸彰
私は理論書とされる『一般理論』も、ケインズにとっては時評だったと考えている。ケインズの経済学では、その時々における緊要な経済問題は何かという洞察が先に現れ、理論は具体的な政策に客観的な説得力を持たせるトゥール(道具)として後から登場するからだ。その構成は『一般理論』も例外ではない。これに対し、ケインズが批判した古典派の経済学では合理的な経済活動を説明する抽象的な理論が先に登場し、具体的な政策は理論の応用として後から現れる。つまり、両者の間には鍵を落として部屋に入れずに困っている人がいたら必死で道具を揃えて鍵を開けようとする「実務家」と、困っている人の声には耳を傾けずにどの部屋の鍵でも開けられるマスターキーがあれば問題は解決すると一般論を説くだけの「学者」の違いがある。ケインズは理論自体の体系性や整合性あるいは学問としての正統性よりも、直面する問題を現実的に解決できるか否かのほうを重視した。それがケインズのフィロソフィー、すなわち経済学に対する考え方なのである。そのケインズが現在の日本経済の混迷ぶりを見たら、どのように診断し、どのような処方箋を書くだろうか。本講座で私なりに推理してみたい。