2015年5月16日 (第3129回)
社会病理・社会問題を学ぶ―臨床社会学のすすめ
京都府立大学公共政策学部 准教授 中根 成寿
「社会問題」は私達のまわりにあふれている。今まさに「問題」の当事者であるという認識の方もおられるだろうし、さしあたり、自分の身近なところではそれほど、「問題」起こっていない、と思う人も「社会」に「問題」がないと感じる人はほとんどいない。
考えて見れば、ちょっと不思議な気がする。「社会問題」は実際にそこに「存在」するのか、それとも誰かがある現象を「社会問題」だと主張しているだけなのか。
社会学では「社会問題」をめぐる問いを「社会病理学」という名称で名付け、議論を蓄積してきた。「社会問題」を議論することは、ある現象を問題化する「社会」を常に問うことになる。
今回は、家族の中にある暴力を題材に「社会問題」を考えていこうと思う。人を育て、教え、愛し、看取るはずの空間に実は暴力があふれていることが「社会問題」となったのは日本においては1990年代で、実はそれほど古い話ではない。
特に、障害者たちが家族の中にある暴力を告発した『母よ!殺すな!』(横塚晃一、1987=2007、生活書院)という主張から話を始めたいと思う。