2015年6月13日 (第3131回)

環太平洋地域における災害と東北地方・太平洋沖地震

立命館大学文学部 教授 高橋 学

「山ノ手安全神話の崩壊」

 これまで、地震予測に多くの予算とマンパワーが注がれてきた。しかし、地震の発生はなかなか正確には予測できないし、地震そのものの発生を止めることは不可能である。 しかし、地震によって生じる被害である「震災」は予測可能である。 地震といえば1923年(大正12年)関東大地震(関東大震災)がイメージされてきた。この時は下町や山の手を刻む石神井川、神田川、目黒川などの小河川沿いで大きな被害が発生した。死亡者の多くは東京だけで14万人を超えたが、大部分が火災によるものであった。また、木造家屋の被害率は約12%に達した。これに対して、山の手では約1%であった。しかし土蔵造りの場合は、下町ではほとんど被害がなく、山の手で約10%であった。このことから、山の手は地震に強いとの神話が生まれた。たしかに、下町や山の手を刻む小河川沿いは、今からおよそ7400年前の気候の温暖期に海面が上昇して平野の奥まで入り込んでおり、群馬県の館林付近まで達していた。ここには、厚いところで40mほどまるでプリンのように柔らで湿った粘土が堆積しており、地震の揺れが増幅されて木造家屋倒壊の原因となった。このことは1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と基本的に同じであり、今回の東北地方太平洋沖地震(東北大地震)の津波の範囲もほぼこの範囲と一致する。 さて、ここで注意する必要があるのは、関東大震災時には、山の手はまだわずかに開発されているに過ぎず家屋は多くなかったということである。ところが、現在は、山の手(段丘面)はもちろん、それを刻む河川が造った急な崖(段丘崖)にも多くの家屋が建てられている。山の手を構成するのは、関東ローム層と呼ばれる火山灰由来の赤色土の厚さは3~8m。そしてその上の家屋は既にかなり老朽化しており、大きな地震が発生すれば、家屋が倒壊するだけでなく、崖下へ滑り落ちていく。これらによって、都心の周囲を取り巻くインナーシティにおいて道路の多くが瓦礫によって通行不能になる。インナーシティでは道路が迷路状でなおかつ幅が狭い。救急車や消防車なども通行ができない。救急車や消防車についていえば、地震が発生しようとしまいと、通常時に必要な数が準備されているに過ぎず、被災地が狭く周囲からの応援がある場合を除き過剰な期待はできないことを忘れてはいけない。