2016年12月3日 (第3188回)

中川小十郎と樺太開発

立命館 史資料センター調査研究員 眞杉 侑里

 中川小十郎は立命館大学の創立者で、文部官僚、実業家、学校経営者と多彩な経歴をもつ人物です。広岡浅子で有名な加島屋の経営に参画していた経歴については、近年ドラマなどでとりあげられ有名になりつつありますが、その後の彼が樺太へ官僚として赴任していたことは意外と知られていません。

 1941(明治44)年から第一部長として樺太庁に勤めた小十郎は1912(大正元)年に同島を去るまで、各地をまわり、さまざまな事業を手がけました。それは、小学校の普及から工業調査、救護施設の設置にまで及びます。ここからは、出張等で島をあけることが多かった長官に代わり、実質的に同島の経営の多くを担っていたかがうかがえます。

 では、こうした中で小十郎は何を見て、何を考え樺太経営に従事していたのでしょうか。学校創立者生誕150周年である本年の締めくくりとして、いくつかの事業とそれを巡る小十郎の考えから、彼が手掛けた樺太開発事業がどんなものであったか、考えてみたいと思います。