Voices
院生からの声
「薬害被害」とは何かを再考する――被害当事者の視点から社会学へ
私は、訴訟や運動から零れた声に注目し、「薬害被害とは何か」を問い直す社会学的研究を進めています。従来の薬害研究は裁判を通じた救済や連帯を強調しがちですが、「語られなさ」に焦点を当てることで、裁判の内外で抑圧されてきた経験を掘り起こそうとしています。薬害被害当事者として運動にも携わっている私は、研究と実践を往還することでこそ見えてくる問題や可能性もあると実感しています。
指導教員の研究プロジェクトを通じて入手した膨大な資料(全国スモンの会の会報誌『曙光』全469巻)は、この探求の方向性を大きく拓いてくれました。
先端研では、研究テーマを自由に設定でき、多様な分野の教員や先輩からの助言を取捨選択しながら、自らの研究を磨くことができます。何より当事者"本人"の視点が尊重され、私自身の被害経験を研究の推進力として活かせる環境があります。こうした環境で、私は薬害研究の射程を拡張し、「薬害被害」の理論化を探求するとともに、「被害」や「苦悩」をめぐる社会学の新たな地平を切り拓くことを目指しています。
「普遍的なものは技術的である──ウィトゲンシュタインのテーゼ」
二十世紀前半の二度の大戦期には、多くの科学と技術のアイデアが生まれました。その中でも現代社会に最も浸透したものは、計算と機械が融合して駆動するプロセス、つまり"コンピュータ"でしょう。ちょうど大戦期を生き延びた哲学者のウィトゲンシュタインは、数学を支えるものとしての「技術」という概念をすでに強調していました。彼によれば、計算が正しい/間違いとされる背景には、私たちが共有する記号の表記法や計算手順があり(これを彼は「技術」と呼びました)、それらが同じ計算結果を導くための基盤となっています。こうした視点は、世界中で同じアルゴリズムや計算技術が再現される今日の情報技術にも通じるものです。先端研は、哲学・思想だけでなく、科学論・STS、医療社会学などの専門家が所属する学際的な研究室です。私は、こうした環境を活かしながら、現代のあらゆる技術の土台にある数学的な技術の汎用性が何によって支えられているのかを丁寧に記述したいと考えています。
獣害対策を切り口に自然と社会の共生のあり方を思考する
自然を枠付け、飼い馴らしてきたはずの近代日本社会で、自然との境界のフロントラインにあたる中山間地域において過去2、30年の間に生じているのは、イノシシやシカの急激な生息数の増加と、それら野生動物たちが柵を超えて畑に侵入し農作物を食い荒らすという、不条理ともいえる事態の日常化です。人口減少や高齢化によりマンパワーが縮小していくなかで顕在化してきた、人と自然が調和的に共存しているとはお世辞にも言えないような獣害の現場は、自然の力を管理し、利用してきた既存の社会システムの綻びが露呈する象徴的な場面であると私は考えています。ままならなさをひしひしと感じつつ、あるべき自然と社会の関係を模索する人々の営みからは、豊富な発見を得ることができます。ただしそれはしばしば断片的です。文化人類学だけでなく、社会学や哲学、歴史学など多領域の視点に開かれた先端研は、そうした断片を深めつつ、その布置を俯瞰的に思考するための環境として、非常に魅力的だと感じています。
「書くこと」と「書くひと」のリズムを、ブランショから読み解く
私はフランスの作家・批評家モーリス・ブランショ(1907-2003)を研究しています。20世紀の文学理論には「作者の死」という考え方があり、作品の意味は作者ではなく読者の側で立ち上がるとされます。従来、ブランショもその先駆とみなされてきましたが、彼の文章を丁寧に読んでいくと、作者は消えると同時に潜在し続けていると語られていることに気づきました。つまりブランショは、「書くこと」のなかで「書くひと」が消えたり現れたりする独特のリズムを描き出していたのです。私はこのリズムに注目し、「作者の死」を単純に受け入れるのではなく、新しい主体論として捉え直そうとしています。生成AIが大量のテクストを生み出す現在、人間が書くことにはどのような意義があるのでしょうか。そのような現代的な問いも視野に入れながら、学際的な環境である先端研では文学だけでなく哲学や思想史にも接続し、人文学の未来につながる議論を模索しています。
ゲームから見る遊びと労働を融合する現代
私は子供の頃からゲームが好きで、さまざまな作品に触れる中で、ゲームは単なる遊びにとどまらないことを実感してきました。修士課程進学を機に日本に留学し、デジタルゲームにおける労働性に着目しました。従来は遊びと労働は別領域とされてきましたが、インターネットの発展に伴うオンライン決済やゲーミフィケーションの進展により、その境界は曖昧化し融合しつつあります。「プレイバー」はこのような状況で、プレイヤーの搾取や疎外を批判する概念として生まれました。私はこの問題を深く探究するため一貫制博士課程の先端研に3年次転入学試験を経て進学し、領域横断的環境の中でこの概念の更なる可能性を見出しています。重要なのは構造や仕組みを明らかにするだけでなく、遊びと労働の連続性を通してデジタル時代の人間活動の意義を再考することです。先生方や院生との交流により、課題を深く研究するだけでなく、俯瞰的かつ包括的に捉えられる点こそ、先端研の大きな魅力であると考えます。