立命館大学図書館

   
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「第11回:ジャーナリズムは歴史の最初の下書き」奥村 信幸 先生(産業社会学部)

インタビュー:学生ライブラリースタッフ 森田(産業社会学部2回生)

奥村 信幸 先生

奥村 信幸 先生の研究概要

―― 学生時代に影響を受けた本は?

ひとつはイギリスの歴史家E.H.カーが記した『歴史とは何か』、もうひとつは1980年代の後半に出版された『太平洋戦争への道(全7巻+資料編)』です。大学院ではメディアの勉強をしていたわけじゃなくて、国際政治が専門だったんです。国際政治学というと、なんだか「国」という、実は実態のわからないものが、交渉をしたり、戦争をしたりというイメージだったんだけれども、私が研究していたのは、政治外交史、中でも「政策決定過程論」というものでした。国というものを細かく見ていくと、政策決定の現場には、ひとりひとりの人間がいて判断を下す、そしてそれら人間は全員が合理的な行動をとっているわけじゃない。そのことを、これらの本は教えてくれました。当日とても具合が悪かったり、機嫌が悪かったりすることで、実は合理的な外交交渉ができてないことがある、とか、実は人間的な要素も大きく絡んでくる。
それから、合理的で優秀な人がたくさん集まったからといって、その集団が合理的な行動を取るわけではないということも、実証的に議論されています。特に『太平洋への道」は、いわゆる「集団無責任体制」と言われている、当時の為政者たちの大部分は、もしかしたら戦争はしたくなかったかもしれないのに、どうしてか、結果的に戦争に突き進んでいってしまったという事実があります。いったいどこに原因があったのかということを、さまざまな資料を使って解明しようとしている本です。「人が歴史をつくった」ということがとてもよくわかったという意味で、その後、ジャーナリストとして政治の現場で取材する際にも非常に役に立った本です。

―― 両方ともジャーナリズムの本ではなく歴史の本、というのはなぜなんですか?

終戦から1960年代のはじめ、『ワシントンポスト』という新聞の社主だったフィル・グラハムという人が「ジャーナリズムは歴史の最初の下書きである」(Journalism is a first rough draft of history.) と言っています。そういう意味で、ニュースも歴史も、根っこは同じものなんだと思っています。それが明日伝えるべきことなのか、もう少し検証したり評価したりして後世のひとの教訓になるかという違いで、誠実に検証するとか、仕事の本質はあまり変わらないんじゃないかなぁという気がします。

―― 学生時代の図書館の利用頻度、利用方法は?

今はコンピュータで本が検索できるようになりましたけど、以前はカードだったんです。私たちが学生のときには図書館を使って本を探すのもすごく時間がかかりました。私は国際基督教大学(ICU)に通っていたんですが、キャンパスは広いのですが、居場所って芝生か図書館ぐらいしかないんですね。だから図書館はよく行ってました。それから、4年生になると卒論を書くために二人でひとつ「キャレル」という自分用の机を貰うことができたんです。だからそれを使って勉強するという恵まれた環境でもありました。また、図書館は非常に広くて静かで、おまけに夏は涼しく、冬は暖かいので、けっこう快適でした。私は体育会でバスケットをしていたんで、練習と授業以外では、天気のいいときは芝生で寝ているか、図書館で頑張って本を読んでいるか、という生活でした。
卒論や他の研究などで教えてもらっておもしろいなと思ったのは、外交文書についてです。外務省が外交文書をどれくらい後で公開するかということは、日本では最近やっと30年後に原則公開というルールがが確立しましたが、アメリカでは、かなり早くから「30年ルール」ができていて、ベトナム戦争関連の、とても公開できないような例外をのぞいては、公開されていましたので、日本の占領政策や、朝鮮戦争とかのことなど、たくさん読んでみました。
外交官や政治家という、かしこまったイメージの人たちが、実は人間らしいやりとりをしていく中で、政策が決められていったんだな、ということがよくわかります。百科事典くらいの厚さで持ち出し禁止だったので、図書館で見るしかなかったんです。当時は英語もそんなに得意ではなかったけれど、勉強半分、遊び半分で、パラパラめくったりもしていました。

―― いまの利用方法・利用頻度は?

学生さんで溢れていますので、邪魔にならないように、できるだけ使わないようにしています。ただ、どうしても授業や論文など正確な引用が必要なときは、資料を参照するために使っています。雑誌などのバックナンバーも利用させて頂くので、どちらかというと書庫に直接行くことが多いですね。
キャンパスの設計ってだいたい学生が6割くらいが来るとパンクするようにできているようですけど、それは図書館も食堂も同じみたいですね。やっぱり、なるべく学生さんが使えるように空けておいた方が・・っていうのがありますね。だから図書館にあまり近づかないようにしています(笑)

―― では、学生はどのように利用すべきだと思いますか?

好きなように利用すればいいんじゃないかな。反対に、君たちは居場所として居やすいですか?ああいう机の設計や書架の並び方や。だから、それで心が落ち着く場所なら居ればいいと思うし、大学って自分の居場所というか、物理的な居場所だけじゃなくて、すごく座りごこちは悪いんだけど部室の椅子の方が落ち着くやつだって居るわけでしょ?だから、そういうふうにして使えばいいと思う。勉強は図書館じゃなくても、ラップトップのパソコンでもあれば、床に座ってでもできるようになってしまっている今では、そんなに、無理やり図書館で勉強しなきゃいけないというようなことは、もうないかなと思ってるんですけど。

―― そうですね、最近は図書館に行かなくても自宅から図書館のサービスが利用できるようになっていますよね。

ただ、さっき言ったみたいな外交文書みたいなものは、ウェブで公開されていないし、他にも、図書館に行かないと読めない、とても高価な本とか貴重な資料というのもあるので、そういう、自分の専門以外の棚なんかを歩いてみる、「宝探し」みたいなのも、楽しいと思いますよ。
実は、ICU時代、図書館で私が借りていたキャレルの周りは、自然科学分野の本が置いてあったので、科学史かなんかの本が山ほどあったんですね。それで退屈になるとそういうところにいって本をパラパラめくっていたら、ちょっと興味が出てきたんで科学史の授業とってみるとか、そういうこともありました。だから、全く知らないものに出会うためには、図書館みたいなところに行って、どこか、全く知らないところでも歩いてみると、思いがけなく面白いものに出会って、もしかするとそれがあなたの一生の仕事になるかもしれないみたいなことまであるかもしれませんよ。

―― 学生にお薦めの本は?

ちょっとまじめな本にしましょう。ひとつは『ベスト&ブライテスト(上・中・下巻)』っていう本です。デイビッド・ハルバースタムというジャーナリストが書きました。
ケネディ政権のとき、期待を担ってアメリカ中から集められた若いエリートたちの話です。彼らは自信にあふれていて、とても頭が良かった。だけど、なぜかあの忌まわしい、ベトナム戦争が始まってしまった。それはどうしてかっていうのを、当時ニューヨークタイムズの記者をしていたハルバースタムさんが渾身の取材をもとに書いたものです。かなり厚い本です。おまけに登場人物がものすごく多い。大河ドラマみたいです。
当時の南ベトナム政権は、ものすごく腐敗していて、アメリカが支援したって、共産主義の拡大なんか防げやしなかったのに、現地からの都合の悪い情報が、そういうエリートたちのプライドや配慮で、どんどん遮断されてしまい、ベトナムの実態とアメリカの外交政策の辻褄がどんどん合わなくなってきて、最終的にものすごい数の人が亡くなるということにまでなったわけです。さっき「理性的な人が集まっても理性的な集団にならない」って言ったけど、まさにその例を実証したわけです。
彼らががどこで間違ったのか、って言う原因となるエピソードや人間関係がすごく丹念に書かれています。こういう本を前にすると、「どれぐらいかけたら読み終えられるんだろう」なんて先回りして考えてしまい、読む気がなくなってしまう人もいると思います。ただ、社会人になって読むには、時間がかかってすごく大変で、いつの間にか途中でやめてしまったりということもあるでしょう。例えば、「この夏休みは絶対に読むぞ」と挑戦するにはとてもいい本だと思うので、お薦めします。

―― これからの図書館ってどうなると思いますか?(いまiPadなど電子書籍がブームですが。)

僕は大学時代にカードの探し方がわからなくて、アルバイトをしていた大学院のお姉さんに教えてもらったりするときに、どんなテーマでどんな資料が欲しいとか、要領よく人にものを聞く方法を、それで覚えたりしました。
例えばiPadで検索したって絶対その検索の仕方はやっぱり人に聞かなくちゃならない部分も残ってしまうわけだから、電子書籍やネット上の資料探しにも、自ずと限界はあるにではないかと思います。僕は古い人間なのだと思いますが、紙にアンダーラインなどを引いて、「このページに書いてあったな」とか、単に本に一枚はさまっているポストイットや、例えば「新幹線のチケットがはさまっているあそこに書いてあったコレ」みたいな、人間の記憶ってもっと別の記憶のしかたで入っているものがあって、日常それに結構頼っているような部分もあるので、電子書籍で済むものもあると思うけど、そういう意味では知識というのは平板の電子スクリーンでは展開しきれないものがあると思います。やっぱり紙の本みたいなものは原点として必要なんじゃないかと思います。ただそれが年寄りのノスタルジーなのか、知識の蓄積のノウハウに関係していくものなのかというのはまだ結論がでていません。
古い本や貴重書庫の本とかでも、中身を見てもらうという意味では、やっぱり電子化したほうが良くなるでしょうし。だから、そういう作業は時代の趨勢としてやっていかなければならないことではないかと思います。それで、ユーザーの意見を聞いたうえで、これは電子化してしまっていいという本とそうでない本と分けていったらどうでしょう。例えば新聞はぼろぼろの新聞を図書館で読むよりは、iPadなんかで配られてたほうがみんな読む気がします。だから、学生の意見をフィードバックして、図書館もそれにこたえて模索していけば、効果的な方法が見つかっていくと思います。

―― 今回はインタビューにご協力いただきありがとうございました。

今回の対談で紹介した本

歴史とは何か / E・H・カー著 ; 清水幾太郎訳 岩波書店 1968
太平洋戦争への道/日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部 朝日新聞社 1963
ベスト&ブライテスト / デイビッド・ハルバースタム著 ; 浅野輔訳 サイマル出版会 1983