「第62回:図書館と生きる」湯浅 俊彦 先生(文学部)
インタビュー:学生ライブラリースタッフ 杉山、陶
2018.03.08
湯浅 俊彦 先生の研究概要
―先生の研究テーマや研究分野について教えてください。
デジタル環境下における出版ビジネスと図書館というのが私の研究テーマです。デジタルネットワーク社会の中で、これまでの出版とこれまでの図書館、双方がどのように変化しているか、またそのことによって、社会にどのような影響を与えるかを研究しています。つまり具体的に言うと、紙の図書や雑誌を蓄積して、それを利用に供していたのが従来の図書館ですが、これが電子書籍、あるいは電子ジャーナルなどになっていた場合にどのような変化があるか。それらは物理的な質量を持たないので、図書館という建物や書店という施設は、流通に関しては必要ないという考えは当然あるけれども、形のある図書館や書店を一つの舞台に電子資料を提供したり、書店のように販売したり、ということも実際に行われていてもおかしくはない。もし実現したとしたら、電子書籍などをはじめとした出版ビジネスと、図書館などの形ある施設はいったいどのような関係になっていくのか、ということですね。
―なぜその分野に興味を持ちましたか
出版や図書館、要するに本をめぐる話が好きだ、ということに尽きますね。そもそも本を読むのが好きで、小学生時代から学校図書室はもちろん公共図書館に行ったり、そこで本を借りたりして図書館と関わってきました。そういう自分のライフヒストリーの中で本の持っている位置というものは、大きなウェイトを占めています。したがって研究テーマもそのような方向になっているという展開ですね。
―先生は教授になられる前に、書店で勤務していらしたのですよね?
書店に勤務しながら日本出版学会という学会に入って、自分の著作物を刊行していた時代があります。学会に入る前から、例えば『書店論ノート』、『デジタル時代の出版メディア』というような自分の単行本を書いていました。岩波講座の『現代社会学』の中に論文を書いたりもしていました。それから書店で働きながら、社会人大学院、大阪市立大学大学院創造都市研究科に行って、修士号、博士号を取得しました。書店を退職して夙川学院短期大学の教員になったのが、教員の世界に入った始まりですね。立命館大学に移りここで司書科目を担当しながら、司書科目は単なる図書館司書資格という意味合いではなくて、図書館の手法を使って情報を図書館情報学的に分類し捉えていくような専攻だと考え、学域改革があった時に日本文化情報学専攻というものを作りました。さらに大学院で、図書館だけではなくさまざまなデジタルアーカイブを用いた人文学の研究を行う、文化情報学専攻というもの作りました。実際学部生・院生たちも出版や図書館の、特にデジタル関係の仕事に進む人も出てきています。
―学生時代に影響を受けた本を教えてください
私が初めて自分のお金で買った本が、下村湖人の『次郎物語』という本です。ちゃんと本に記録も残していて、小学校六年生の時にこの本を自分の小遣いで買って読んだのが最初ですね。もちろんそれまでに学校の図書室でルパンとかホームズのような子供向けの本、伝記や全集を片っ端から読んだ時代がありましたが、小学校六年生の夏休みに初めて本を買って読んだことはよく覚えていますね。
高校生になったときも図書館を頻繁に利用していました。これは『太宰治全集』です。もうボロボロになっていて、表題も背表紙も切れてしまっているので図書館側で作っている訳ですが、昔はこのように(ブックポケットを見せながら)ブックポケットとブックカードがついていて、誰が読んだかというのがわかるのです。ここに私の名前もあります。いわゆる廃棄処分にするものをもらって、このような全集を片っ端から読んでいました。一つの全集も二回くらい読み、太宰治にずいぶん傾倒していました。もちろん森鴎外や夏目漱石なども含め、当時高校の図書室にある全集はかなり読んでいました。そのような時代が高校時代で、その頃から岩波文庫を全巻読もうというふうに思い、高校・大学時代でほぼ全巻読みました。それが私の一番大きな読書体験であり、本との出会いですね。
―他にもありますか?
今、最も気に入っている本が、セネカの『人生の短さについて』という本で、これは大学生にもぜひ読んで欲しい本です。私の一生の中で、この本が一番自分にとって勇気づけられるというか、生きていく糧になっている本だと思います。非常に面白い。私は本を買って線を引きながら読むというようなことをずっとしていたので、アンダーラインだらけの本が多いですね。この本は一言で言うと、人生というのは使い方によっては短いことはない、ということを言いたい本なのです。セネカが、弟子になったパウリヌスに向かって話しているところで、港を出て船が進んでいく時に誘惑に駆られ、あちこち回っているだけでは長い航海をしたことには全くならず、いきあたりばったりに生きてきただけである、と言います。やはり自分の目標を持って海原に出て行くと、大きな航海を成し遂げることができる。多くの人は、あっという間に人生は終わってしまうというふうに嘆くのだけれども、そうではなくて使い方を知ってしっかり自分のやるべきことをしていれば、人生というのは実に長いものである、と。特に忙しい、忙しいといって、結局一つのことも成し遂げていない人はローマ時代にも現代にもたくさんいて、そういうのは「怠惰な多忙」という。これはキーワードだと思います。忙しいことに怠けている。その中に居ることによって、自分が一番忙しいと、自分は良くやっていると思っているのだけれども、実際には何も成し遂げられていないということを読んでいてはたと気がつきました。やはり一つの目標、私の場合は出版や図書館のことについて、ただ仕事上であるとか自分が好きであるとかに関わらず、深く探求して本を書いたり、シンポジウムを行ったり、目標について探求を深めていく人生を送るようにすっかり変わりました。ただの本の愛読家から、主体的なものに変化したのはセネカのおかげかなと思っています。そのような意味で、非常に短いものですがインパクトのある作品だと思いますので、今の大学生の方たちにも読んでもらいたいなと思います。
―学生時代は図書館をどのように利用されましたか
先ほど言ったとおり、高校の図書館でそこにある本を片っ端から読んでいる時代がありました。図書館に司書教諭がいたのですが、その方は新卒で司書教諭になってから同じ場所で定年退職まで働いていらっしゃった珍しいケースで、私も退職される頃までずっとお付き合いをしていました。ちょうど保健室へ行くような感じで、疲れたときに図書室に行くとほっとする、そんな場所でした。そのような場所としての図書館はすごく大事だと思っています。たとえ電子資料になっても図書館は本当に大事な居場所だと思っています。その経験が私にとって、とても印象に残っています。
もう一つ、小学生の頃映画の上映会を観るために、電車に乗って通った時期がありました。今の時代でいうと本が好き人はどちらかというと暗いとか、仲間と遊ぶよりは本の世界に入り込むだとか、そういうイメージがあるかもしれませんが、そういったことは無く、私にとって公共図書館は、本だけでなく映画も見られてすごく楽しいな、というイメージなのですね。堅苦しく押し黙った世界というわけでもなく。高校生になってから自習のために行った時も仲間と図書館にかばんを置いて近くに遊びに行ったなど割と良い思い出がありますね。
―図書館の利用について学生へのアドバイスはありますか?
もっとたくさん利用できるチャンスがあるのに、あまり使っていない人がいるのがものすごく残念ですね。例えば、ぴあらに海外の新聞が読めるプレスリーダーがありますが、司書課程の学生に聞いても殆ど利用していない。また、ライブラリーバレーにある末川文庫など、いわば先人たちがどのように勉強していたかとかどんなものを自分の糧にしてきたかという資料を一望のもとに見られるようにしてあって、そういう「見える化」が図書館のいいところなのに、図書館が利用されていない。
もっと本が好きな人だけが行くのではなく、本の中に歴史を感じたり、その著者の頑張りを感じたりしてほしいです。自分自身も本を書き上げた時、大変な苦労をしました。ワープロもない時代だったので、原稿用紙に書いて、出版社に出す時には何百枚も清書で書き直しました。今だともう無理ですけど、朝5時に起きて会社行くまでの時間で何日もかけて清書しました。このように本を書くことはものすごく苦労なことだと思うんです。そうやって作られた本を、書店や出版社が営業や編集、取次ぎ、販売など奔走していて、それぞれの人たちの手によって運ばれている。本っていうのはすごく価値があるものだと思います。その本が平井嘉一郎図書館には山のようにあって、そこにはそれぞれ歴史がある。そう考えると、ここは宝の山なのに誰も使わなければ宝の持ち腐れになってしまう。そこが残念ですね。
大学に居る間にそれなりに図書館を使うと、社会に出たときに本当に力を発揮するのは本だと思います。苦しい時に本に励まされたり、退屈な時に本によって癒されたりすることがあると思います。今のような検索すれば一定の答えが出てくる時代であればあるほど、文脈を理解するとか、深く本を読むことが大学時代で一番大切になってくると思います。
―最後に、学生へのメッセージをお願いします。
学生の皆さんに向けてのこの本を持ってきたのですが、江上敏哲さんの『本棚の中のニッポン』というタイトルで、とても良い本です。著者の江上さんは国際日本文化研究センターの図書館に勤務している人で、今は立命館大学の司書課程の授業を受け持っています。海外の図書館には東アジアのコレクションの1つとして日本について書かれた本があるのですが、その書籍が電子化されていないせいで海外の日本研究者が大変困っています。日本の図書は他の国に比べて一般書の電子化が遅れていて、今の電子化の社会の中で日本の資料にアクセスすることが難しいために研究者の数が減少しています。これは日本の出版業界の問題でもあるし、この電子化の遅れは日本の図書館でも問題になっています。そういう状況をこの本は描いていますが、こういう本を読み、日本は国際的な標準から置いていかれているという問題を意識的にとらえなければ、将来どのような職業に付くにしろ頑張っていることが世界に発信できず、空回りしてしまう。そうならないためにもこういう本を読んで意識的に問題に気がついてほしいです。
今回の対談で紹介した本
『人生の短さについて:他二篇』 、 セネカ著 ; 茂手木元蔵訳、岩波書店、1980
『本棚の中のニッポン : 海外の日本図書館と日本研究 』 、 江上敏哲、笠間書院、2012