立命館大学図書館

   
  1. TOP>
  2. 学生支援>
  3. 教員インタビュー>
  4. 「第67回:表象文化論のすすめ」千葉 雅也 先生(先端総合学術研究科准教授:哲学・表象文化論専攻)

「第67回:表象文化論のすすめ」千葉 雅也 先生(先端総合学術研究科准教授:哲学・表象文化論専攻)

インタビュー:学生ライブラリースタッフ 楠居、九鬼、安本

2018.12.06

―先生の研究分野を教えてください。

専門分野は哲学と、表象文化論です。表象というのは、イメージなど様々な表現されたもののことです。例えば、映画、美術、洋服、ファッション、スタイルなども何かを表しているという意味で表象です。様々なものの文化的な表象の意味を哲学理論ベースで考えています。そのため何でも研究対象になります。美術、音楽、ファッションのことも、ゲームも表象として捉えることができます。立命館にはゲーム研究センターという昔のファミコンやゲームソフトなどを集めて、保存して研究しているセンターがあり、なぜ人はゲームをすると面白く感じるのかなど、ゲームについて本質的な研究をしています。そこでビデオゲーム研究をしている学生もいて、その指導もしています。

―先生はなぜ表象という多岐に渡る分野を研究しようと思われたのですか?

僕はもともと美術や音楽などの作品を創っていました。両親が美術系出身で、母親は美術短大を出た専業主婦、父親はカメラマンからデザイナーになった人なので、美術がメインでした。小さいときからアートを見たり、母親が買ってきたデザインのかっこいい小物・家具を見たり、かっこいいものや美しいものを見るということが家族の文化としてありました。絵を描いたり工作して何かモノを作ったりすることも好きでした。また、僕はピアノを習っていたので音楽と美術を行き来して考えていました。中学生までは美術大学に行きたかったのですが、だんだん勉強が面白くなり方向転換しました。モノを作ることから、美術や芸術についてことばで考え文章にするという、美術批評にたどり着きます。そこで、様々な事柄について深く考え研究するためには哲学的な概念を学ぶ必要があり、美術について考えるには様々な歴史を知る必要があると気付き、大学では、作品の歴史や建築など、幅広く物事を知ろうと努めました。

―文章にすることの楽しさは何ですか?

文学が好きで詩や小説を読んでいたので、文章を書くこと自体が楽しいです。僕は言いたいことを単に論理的に伝えるだけではなく、文章が持っている面白さやリズムなどの味わいを大切にすることにこだわっています。このようなこだわりがあるので、僕はことばを使って美術作品を創っているような気持ちがあります。ことばの持つ音や、どのようなことばを選ぶかということは、一種の造形物だと思います。現代の芸術家の中には、ことばを使って美術作品を創る人もいるので、そのような意味では僕もいまだに美術作品を創っているのかなって思いますね。

―学生が勉強する意義は何ですか。

極端にいえば、学生は勉強以外のことはしなくていいじゃないですか(笑)勉強するということは、自分の世界や見方を広げ、柔軟にすることだと思います。一番大事なことは、勉強を通して自分が持っている狭い価値観を壊し、より多くのものを面白く思えるようになることだと思います。例えば、ボカロの曲しか聴かないなど、ジャンルを限定してしまうことは視野が狭いと思います。音楽について様々な勉強をしたら、古いロックが面白くなるかも知れないし、もしかすると演歌やヒップホップの良さも分かるかもしれません。基本的には様々なものを良いと思えることが人間としての成長だと思います。自分は「これだけ」がかっこいいと思う、他のものは全部ダメだという、そういう切捨てがかっこいいと思う価値観の人がいますよね。若い人ほどそのような価値観の人がいると思います。でも、それはダサいというか、青いと感じます。僕は、人間は魂を成長させていくものだと思っています。

魂を成長させていくと様々なものを受け入れられるようになっていくのではないでしょうか。

―自分は狭い目線で見てしまうこともあるので、確かにそうだなと思います。

ひとつの狭いものにこだわることは自分の安定につながりますよね。小さい子どもが、ひとつのぬいぐるみにずっとしがみついているのと同じことだと思うのですが、気に入った音楽だけ聴いていれば無意識のうちに安心していることがあります。そのときに他のものを聞かされるとノイズに聞こえるわけです。でも、そのときにノイズに慣れていかないと、より遠くに向かって歩いていくことができません。あのぬいぐるみが置いてある自分の狭い部屋にしかいられないわけですよ。私自身高校生の頃は音楽の趣味が偏っていて、ポップやロックなどは苦手でした。もともとクラシックピアノをやっていたからだと思います。しかし、現代思想や文化論を勉強することで、徐々にポップカルチャーも受け入れられるようになっていきました。ファッションもカジュアルなものになっていき、大学で様々な文化論を勉強することでむしろチャラくなっていきました。徹底的に勉強するとね、チャラくなりますよ。チャラくないというのは、こうあらねばならないというような凝り固まった正しさに肯定していることです。しかし、勉強して多用で柔軟な視点を身につけることにより、こうあらねばならないというものから抜け出ることができると思います。そのことが、チャラくなるということだと僕は思っています。

そうそう、学生時代に大学生がすべきことは読書です。まずは入門書を調べることからです。90年代に比べて21世紀になってから、良い入門書が多く出るようになりましたね。いきなり本格的な哲学書や経済学の分厚い教科書のような本を一から全部読むことは無理なので、全体像が書いてあるようなものをまず見て、大雑把な地図を最初にゲットすることが大事です。それから細かいことは読んでいけばいいと思います。まず、全体像を掴む。その上で概略をつくることが大切です。

大学の授業もそのために行っていると考えた方が良いですよ。短い授業時間で細かいことは全部説明できないので、先生が何に絞って説明しているかに注目して聴くことが大事です。授業では学問の骨組みだけを教えますので、全体像をつかむことができます。しかし、それだけでは終わらない。大学の授業は本格的な専門書を自分で読むこととセットになっています。授業を聞いているだけで、100パーセント完結することではなく、自学自習することは前提です。どの先生も、当たり前すぎて言わないだけです。

―先生は大学時代に沢山本を読まれていましたか?

そうですね。昔の大学生の感覚では、それは一般的でした。今の大学生は授業に出ているだけで学問を理解できると思っています。でも、僕は間違っていると考えます。学生は受動的になっていてだめですよね。積極性が育ちません。

―授業を受けるだけ、というスタンスは良くないですか?

絶対だめです。どんな分野でも代表的な文献というものがあります。それは自分で読むしかないです。大学に入学すれば、まずその分野の代表的とされる文献を絶対に買わなければなりません。図書館で借りるのではだめです。そして家に置いておきましょう。もし、卒業までに読み終えられないとしても、少しでも読んで勉強するという経験はしてほしいです。そうでなければ大学に来た意味はありません。

―先生が学生時代に読んで心に残った本はありますか?

僕が所属していた東京大学の表象文化論研究室の先輩に、東浩紀さんがいます。彼が博士論文として著し、後に書籍化された『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』が心に残った本です。この本では現代思想の新しい方向が示されていたため、僕には何ができるのだろうかと考えました。そのことが僕の研究を方向付ける決定的な要因となりました。

僕の博士論文である『動きすぎてはいけない』という本は、この本から受けた影響へのレスポンスです。この本はドゥルーズという哲学者の研究書ですが、簡単に説明することは難しいですね。

―学生はどのように図書館を利用すればよいのでしょうか?

まず、学生にお薦めするのは書庫に入ることですね。立命館大学であれば、卒業する前に絶対に修学館リサーチライブラリーで調べものをしてください。図書館を利用するというと、開架に置いてある本を読むというイメージがあるかもしれません。しかし、それは本当の図書館の使い方ではありません。図書館は、もう市場に出回ってない本がアーカイブされ、保存されている場所だからです。図書館の本来の利用方法は、古い雑誌や人があまり読まないような古い本などを引っ張り出して、歴史を紐解くことです。

例えば、『ユリイカ』という雑誌は、一部インターネット上でPDF化されたものを見ることが出来ますが、多くは実際に図書館まで探しに行かなければ見ることができません。実際に探しに行くと、図書館の見え方がちょっと変わってくるかもしれないですね。『ユリイカ』のバックナンバーはどこにあるのかな、なんて考えますよね。90年代の『ユリイカ』を取り出して掲載記事を調べると、その頃のカルチャーが分かると思います。そんなことをしてみると、図書館でものを調べるとはどういうことなのかがわかると思います。特に、大学図書館へのアクセス権を持っていることは皆さんにとって大きな特権だと思います。卒業生は交友として利用できるとは思いますが、社会人になると時間の制約などもあって、そう簡単に調べものができなくなってしまいます。いつでも雑誌のバックナンバーを調べられることは、とても貴重なことだと僕は考えます。

―学生におすすめの本はありますか?

『勉強の哲学』はぜひ読んでもらいたいですし、ピエール・バイアール『読んでいない本について堂々と語る方法』もとてもお薦めです。

『読んでいない本について堂々と語る方法』は、結構難しいですが本当に面白い本です。著者は、フランスの文学研究者です。この本では、「本を読んだとは、どういうことですか」というそもそも論を説いています。「本を読んだ」という基準は人によって曖昧で、わからないものです。逆にいえば読んでいない本について何かひとこと言った場合も読んだことになるんですよ。極論ではありますが。例えば、本を読む=通読するというイメージがありませんか?しかし、最初から最後まで読んでもどこかちょっと飛ばしてしまうこともあると思いますし、字を一字一句追って読むなんてことはないと思います。読んでいるうちに絶対に内容を忘れてしまいますよね。それなら、ちょっと拾い読みしたことと何が違うのかという話になりますよね。

―違いが説明できないです。

グレーゾーンを考えると微妙になってきます。『勉強の哲学』というタイトルを見ただけで読んでいないのに、「あ、この本は大体こんな感じで~」と言うことと何が違うのかということになりませんか。危険な発想ですが。しかし例えば、『勉強の哲学』というタイトルを見て「あなたは本当にこの本を読みましたか?」とは聞かないですよね。失礼にあたりますし、そのように聞かれたときに、仮に通読していたとしても、答える側としては「本当に読んだかと聞かれると、自信がない」という具合になってしまうわけですよ。つまり、本当に本を読んだかどうかという質問はタブーです。我々はお互いが本を読んだと自己申告したら、一応その点を受け入れて人間関係を成り立たせていくのですね。この本には、そのようなことが書かれています。

―ほかにもおすすめの本はありますか。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』もおすすめです。私の専門としているドゥルーズに関する本で、文庫で出版されています。チャレンジしてみるといいかもしれません。ただ、これを読んでちゃんと分かったというためにはたぶん5年くらい勉強が必要です。

では、もう1つこれもなかなか読めるものじゃないよという本を紹介しましょう。 堀千晶『ドゥルーズキーワード89』という本で、著者は早稲田大学出身の人です。この本は入門書として優れていて、ドゥルーズを読むはじめの一歩にちょうどいいと思います。ドゥルーズとは独自の言葉を使う人のことで、この本ではそのことを見開きで説明しています。ちょっとパラパラみただけで「へえ、こんなキーワードあるんだ」となる、カタログみたいな楽しい本です。まずそういうものをパラパラ見て、「なんか読んでみたいな」という気持ちになると、紹介したドゥルーズ『差異と反復』が少しずつ読めるようになってくかもしれないですね。

―なるほど。私達もまずは入門書からはじめて、卒業までには難しい本にも挑戦してみたいです!今日はありがとうございました!

今回の対談で紹介した本

『勉強の哲学』、千葉雅也、文藝春秋、2017年
『読んでいない本について堂々と語る方法』、ピエール・バイヤール、ちくま学芸文庫、2016年
『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、千葉雅也、河出文庫、2017年