スポーツ健康科学部 教授

海老 久美子

1985年、大妻女子大学を卒業後、(株)日立家電(当時)に入社し、家電製品の調理指導を担当。1989年(株)スポーツプログラムスに転職し、アスリートの栄養サポートに携わる。2002年甲子園大学大学院博士前期課程に入学。2006年、国立スポーツ科学センタースポーツ医学研究部でオリンピック強化選手の栄養サポートに従事。2007年、甲子園大学博士後期課程を修了し、2010年より現職。

ライフサイクルとともに熟成していく研究を味わう

#10

家電メーカーからキャリアをスタート

「管理栄養士の資格を取れるから」と料理好きの父親に勧められ、女子大学の付属校から家政学部入学した時は、後に研究者になるとは夢にも思っていませんでした。けれど今振り返れば、スポーツ栄養学をはじめ多岐にわたる分野の先生から指導を受けたことが、研究者、教員としての素地になっていると感じます。
大学を卒業後、最初に就職したのは大手家電メーカーでした。私に課せられたのは、自社製品であるオーブン電子レンジのためのレシピ開発や調理のデモンストレーション。この時、人前で料理をしながら、言いたいことを伝えるという経験しました。転機が訪れたのは、3年後。世の中はフィットネスブームの到来で、続々とスポーツクラブが増えていました。それを目の当たりにし、ダイエットやスポーツに役立つ食事指導についての企画書を作成し、知り合いのスポーツクラブに飛び込みで持ち込んだ事がきっかけでスポーツ関連企業の栄養サポート部門に採用され、以後さまざまなスポーツのアスリートや企業の健康作りのための栄養サポートに携わったことがその後の人生を変えることになりました。
中でも中心となったのが、高校野球選手とそのチームへの栄養サポートです。成長期にあるスポーツ選手にとって「食」がいかに大切か、最初は理解してもらえないことも多かったですが、公立進学校を中心に、少しずつサポートするチームが増え、この「『食』に対して自立する大切さ」をより多くの球児に伝えたいとの想いをまとめた『野球食』を出版したのもこの頃でした。

働きながら大学院へ進学

「本にまとめたなら、その効果を検証しなくていいの?」。今も恩師と仰ぐ甲子園大学の栄養学の先生にそう問われたことが、研究の道へと舵を切るきっかけです。効果検証のための調査を行う目的で、会社に勤めながら大学院に入学。40歳を目前に控えた年でした。
博士前期課程に進学し、半年間をかけて高校球児300名を対象に食事指導の効果を検証したところ、確かな効果が認められた一方で、思いもよらない結果も見えてきました。調査して初めて、これまでは要望をきちんと伝えられる生徒の意見しか汲み取れておらず、それ以外の声なき声を拾えていなかったことに気づかされたのです。
さらに前期課程を終え会社の仕事に戻ろうと思った矢先、全国の高校球児の食事や体組成などを調べるという大規模な調査の依頼を受けたためそのまま博士後期課程へ進学。その後、国立スポーツ科学センターに転職し、研究と平行しながら高校球児をはじめさまざまなジュニアアスリートやオリンピック強化選手の栄養サポートを続けてきました。

まずは自分自身を大切にすること

スポーツ健康科学部の新設と同時に立命館大学に招かれたのは8年前。地域のスポーツと食についての研究のおもしろさを実感したのは、ここへ来てからです。今の課題は、スポーツの食卓に「地域のおいしさ」を取り入れること。特にキャンパスのある滋賀県に注目しています。地域の食材で健康・スポーツをテーマにした食品やメニューを開発等、地域の健康・スポーツを食から持続可能なものとして地域に定着させる手だてを考えています。
現在、日本の若い女性の多くは「痩せ」の願望からエネルギー、栄養不足になりやすく、そのことは、日本の将来の健康を阻害する可能性にもつながることが心配されています。そうした社会の未来に対する提案をする事も「知」を発信する研究者の役割の一つだと考えています。だからこそ栄養の分野で研究者を志す若い女性には、自身の健康管理を考え、体の中から生まれる輝きや美しさに目を向けてほしい。専門分野を好きになることと同時に自分自身の健康を大切にすることも研究者に欠かせない素養だと思います。研究者になる道は、直線とは限りません。自分のライフサイクルやキャリアに合わせて関心や研究テーマも変わっていく。年齢や経験を重ねるとともに研究が熟成するのをじっくりと味わうのも楽しいと想います。