理工学部 教授

峯元 高志

1997年、立命館大学理工学部から飛び級で同大学理工学研究科へ進学。2001年、博士課程後期課程修了後、アメリカ・デラウェア大学にポスドク研究員として赴任。2004年、立命館大学理工学部講師に就任。2011年、理工学部准教授、2015年から現職。

研究も、子どもとの時間も充実させる環境を自らつくる

#32

太陽電池の面白さに惹かれ、研究の道へ

太陽電池を研究するきっかけは、立命館大学3回生の時、太陽電池の研究で名高い濱川圭弘教授・髙倉秀行教授の研究室を志望したことでした。著名な教授の下で、次代のクリーンエネルギーと目されていた太陽電池を研究できることに興味をかき立てられたのが、すべての始まりでした。
大学時代から一貫してCIGS系といわれる太陽電池を研究しています。Cu・In・Ga・Se(銅・インジウム・ガリウム・セレン)の4つの元素を材料に用い、圧倒的シェアを持つ一般的なシリコン太陽電池では実現が容易ではない柔軟性・軽量性を有し、しかも低コストで作れる化合物半導体薄膜太陽電池の開発に取り組んできました。
修士課程1回生の時には、「連携大学院制度」を活用し、松下電器産業株式会社(現・パナソニック)中央研究所で研究する機会に恵まれました。先進の実験装置が揃った環境で、半導体薄膜やデバイスの作製、性能試験を行い、研究の面白さを実感。研究チームのリーダーから「博士号を取ったら?」と勧められたこともあり、博士課程に進学したものの、「研究者を目指そう」と考えていたわけではありません。岐路に立つたび、「面白い」「やってみたい」と思える道を選んできました。

米国の研究スタイルの違いに衝撃

「博士号を取ったら、海外で研究したい」。そう考えていたので、博士課程を終えると、一路アメリカへ。米国の太陽電池研究の中核拠点CoE(Center of Excellence)として知られるデラウェア大学で、ポスドク研究員として1年半を過ごしました。世界屈指の太陽電池研究の拠点で研究できると、期待に胸を膨らませていましたが、着任早々拍子抜けすることになりました。
まず驚いたのは、研究室の活動時間の短さです。朝8時に始まり、午後3時か4時にはほとんどが仕事を終えて帰ってしまいます。早朝から夜遅くまで実験装置の前に釘付けになっていた日本での研究生活とは、雲泥の差です。一番の違いは、研究の進め方にありました。太陽電池の研究では、化合物を積層・結晶成長させて半導体薄膜を作製し、各種装置で性能を確かめることの繰り返しです。日本では、ほとんどの工程を一人で行っていましたが、アメリカでは、研究者の他に技術職員がいて、各工程を分担しています。そうすることで、余裕を持って研究を進められることに気づかされました。この経験は、帰国後の研究に生かされることになりました。

チームで研究する体制で研究と生活を両立

2004年に帰国後、立命館大学理工学部に着任。結婚し、二人の子どもが生まれてからは、家族と過ごす時間も大切にしています。共働きのため、毎朝子どもを保育園に送り届けてから出勤し、家事分担も当たり前にしてきました。事務業務などは自宅に持ち帰り、子どもが遊ぶ傍らで仕事をすることもありますが、無理をしている感覚はなく、私自身が子どもと一緒にいる時間を心から楽しんでいます。
研究しながら生活も充実させるために心がけてきたのが、「皆で協力する」環境をつくることです。一人で研究するのは負担も大きく、達成できる成果にも限界があります。そのため競争的資金や補助金を獲得して必要な人材を確保し、チームで研究を推進する体制づくりに尽力してきました。私の役割は研究目的を明確にし、チームを統括するとともに、責任を持って成果を発表すること。その結果、今では複数の研究プロジェクトを遂行し、高い成果を挙げながら、自分の時間も確保する働き方が可能になっています。
最近、CIGS太陽電池の開発を継続しながら、新たな研究にも着手しています。それが、ペロブスカイトと呼ばれる材料を使った太陽電池の開発です。高い変換効率を有し、しかも軽量で柔軟性に富むなどシリコン太陽電池にはない特長を持っています。加えて材料となるヨウ素は国内で多く産出されることから、「国産の太陽電池」として実用化を目指し、薄膜開発や性能試験、メカニズムの解明に取り組んでいます。
「自分の研究は必ず人類の役に立つ」と、本気で信じることが、研究の原動力です。何より研究が好きだから、ここまで続けてきました。将来のキャリア選択は、皆さんの心次第です。ぜひ「好き」だと思う道を突き進んでください。