海に囲まれた日本にとって、今も昔も魚介類は重要な食料の一つです。日本人の食生活を支えてきた漁業や水産加工業の歴史をたどると、第二次世界大戦以前に仕事や生活の場を求めて海外に渡った日本人の漁業移民は多くいました。保険会社が火災保険の補償のために作成した「火災保険図」を詳細に調べると、カナダ西海岸に暮らした日本人の生活について、これまで知られていなかった事実が明らかになってきました。
例えば、1920年頃のブリティッシュ・コロンビア州には、約100ヶ所のサケ缶詰工場があり、中国人やインディアン(ファーストネーション)とともに、多くの和歌山県出身者が働いていました。そこでは、缶詰作業を担当する中国人移民は二段ベッドを並べただけの寝台舎に単身で暮らしていたのに対して、サケの漁獲と集配を任されていた日本人は妻子と一緒に戸建てや長屋に住んでいたことがわかりました。また、州北部のサケ缶詰工場では、鉄道保線工として渡加した鹿児島県西南部出身の人々が転籍した様子も明らかになりました。捕鯨業ではクジラの解体に携わっていたことや、白人資本から独立した塩ニシン製造業では日本、朝鮮や台湾などグローバルな流通ルートを開いた日本人の活躍もわかりました。