Career NetworkingOBOG会紹介
10期生によるOBOG会(長崎フィールドワーク)が開催されました
2025年2月22日(土)~24日(月祝)、10期生によるOBOG会を開催、今回は長崎県を訪問しました。







【主なスケジュール】
▼1日目
軍艦島デジタルミュージアム・日本二十六聖人殉教地・稲佐山展望台
▼2日目
田平天主堂・松浦資料博物館・平戸ザビエル記念教会・島の館・丸尾山(丸尾様)・春日集落(かたりな)
▼3日目
コルベ神父記念館・長崎スタジアムシティ
今回のフィールドワークに参加された10期生の瀧藤昭弘さん(東日本旅客鉄道株式会社)のレポートです。
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立命館西園寺塾10期生の研修プログラム修了後初のフィールドワークは、木村幹先生講義の課題図書「犠牲者意識ナショナリズム」にて学んだコルベ神父ゆかりの地である長崎にて実施しました。今回のフィールドワークの最大テーマは「キリスト教」(とりわけ、潜伏キリシタン・隠れキリシタン)と世界遺産「軍艦島」です。正直なところ私は軍艦島に惹かれて参加しましたが、キリスト教関連の見学が印象に残る2泊3日となりました。
1日目に予定していた軍艦島上陸ツアーは残念ながら荒天のため中止となりましたが、軍艦島デジタルミュージアムを見学、当時最先端の鉄筋コンクリート建築物が建設されたこと、63,000㎡(≒250m×250m)の島に最大5,300人が生活し、1,000人以上の児童・生徒が通う小中学校があったことなど、多くの視覚的資料から学びました。当時の島民の生活を想像し、「長崎を再訪し次こそは軍艦島に上陸しよう」と固く誓いました。
2日目は平戸にて平戸観光協会のガイドの方にご案内いただき、松浦資料博物館・平戸ザビエル記念教会・生月町博物館「島の館」・春日集落(かたりな)を訪問、加えて田平天主堂、日本二十六聖人記念館(1日目)も見学しました。そこから学んだことは、「平戸における領主から領民へのキリスト教入信の指示」「キリスト教信者の迫害」「隠れキリシタンの潜伏と明治維新期における発見・再迫害」「明治維新後も隠れキリシタン時代の独自の教えを守り、キリスト教信者とならなかった日本人の存在」「明治維新後、小さな集落に立派な天主堂が建設されたこと」「カトリック教会による殉教者の聖人化」などでした。特に印象に残ったのは、生月島でキリスト教が従来の仏教や神道と融合した形で信仰され続けた点、明治維新後もキリスト教徒とはならず、隠れキリシタン時代の信仰を守り続けた点です。前者からは、仏壇や神棚を隠れ蓑にしてキリスト教の信仰を守っていた人々の姿が伺えました。彼らの信仰の深さはどの程度であったのでしょうか。ヒントとして「領主が領民を一斉にキリスト教に改宗させた地域があったこと」「絵踏をしていた人々が明治時代に入りキリスト教信者となったこと」があります。一点はキリスト教の信仰の深さに個人差があったのではないかということです。これは推測の域を出ませんが、「キリストの絵を踏むことは許容する」「キリスト教だけでなく仏教や神道も信仰する」など様々な判断があったのだと考えます。平戸領主の松浦隆信はキリスト教の布教を認めたとはいえ、入信はせず好意的ではなかったこと、一方で松浦隆信の家臣(親類)が熱心な信者であったことや、松浦隆信の孫に大村純忠の娘(キリシタン)が嫁ぐなど、平戸においてキリスト教信仰の追い風と逆風が繰り返されていたことも影響したのではないかと感じました。私は、中学時代に歴史の授業で絵踏や島原の乱について学び、「当時の日本でキリスト教に入信した人はみな敬虔な信者であった」と思い込んでしまっていたのだと痛感しました。
今回のフィールドワークで、戦国時代から江戸時代初期にキリシタンとなった日本人の信仰の深さについて参加メンバーで議論をしました。私なりの結論は、「キリスト教には現在も世界中で多くの人が信仰し、惹きつけられる魅力がある」「現代の日本人は宗教に対してドライな面がある」という両面が当時の日本にもあり、人々のキリスト教信仰に濃淡があったのだろうというものです。これには、私自身カトリックの学校に通い、当時はキリスト教に魅力を感じながらも結局入信しなかった、という経験をしたことも影響しています。一方で、16世紀後半から17世紀前半の短期間でキリスト教の教えに共感し、熱心なキリスト教徒になった日本人がいた、という事実も「日本二十六聖人記念館」にて改めて学びました。
平戸をご案内いただきました平戸観光協会のガイドの方はとても造詣が深く、私たちのすべての質問に丁寧に対応くださり、まさに今回のMIPでした。平戸城にもオランダ商館にも行かないというこだわりの行程が、私に多くの示唆を与えてくれました。
幹事からの提案により今回のフィールドワークでは、毎朝長崎の町を皆でランニングしました。自分の足で見て回ることで、長崎の町の規模と位置関係、坂の多さを実感できたうえに、諏訪神社や西園寺公望公の仮寓居跡を訪問することもできました。頭と体を使って存分に学んだ充実のフィールドワークでした、