対人援助
心理

対照的なアプローチに触れる経験が、
専門性を高めてくれる

Masasi HATTORI 服部 雅史
Kuniko MURAMOTO 村本 邦子

まずはじめに、村本先生からこれまで対人援助学の実習で実施してきた東日本家族応援
プロジェクトについて教えてください。

村本 対人援助学の実習と言っても、対人援助学領域、臨床心理学領域のどちらもが参加できるプロジェクトです。応用人間科学研究科では、心理、福祉、教育、医療など、対人援助に関わるあらゆる領域を連携・融合させたものとして対人援助学を構築してきました。
当時、東日本大震災を受けて、多くの大学が復興支援に向けて動き始めていました。研究科の内部からも「対人援助学を掲げてきた研究科として何かすべきではないか?」と声が上がり、私がリーダーシップを取って、このプロジェクトをスタートさせました。
私の専門はトラウマで、虐待、DV、性暴力、災害、戦争がもたらす影響を巡り、現場で治療や予防に関わってきました。この分野においては、社会の視点は外せない。個人の心だけ見ていただけでは支援はできません。この大きな複合大災害に対して、おそらく、私たちはあまりに無力であり、唯一できる確かなことは、「証人(witness)になる」ことだと考えました。理不尽な運命に翻弄されながらも、それに抗い、生き延びるために苦闘する人々にとって、そのことを誰かが見てくれている、理解しようとしてくれているということがとても大きな意味を持つということがわかっていました。

阪神淡路大震災の時もボランティアで関わりました。その時、学んだことは、本人にニーズがあって援助を求めてやってくるカウンセリングと違って、ボランティアがお節介でコミュニティに入っていく場合、西洋型のカウンセリングモデルは通用しないということでした。潜在的ニーズはあるのでしょうが、外部から入ってきた人に悩みを打ち明けるというようにはなりません。試行錯誤の結果、子どもの遊びプログラムに関わるようになりました。たとえば親を亡くした子どもに対して、ストレートにその話を聞くよりは、キャッチボールしながら、「最近どう?」と自然な会話の中で少しずつ気持ちが通じるというようなことがある。ただ一緒に遊んでいるだけでもいいし、遊んでいるなかで、何かが表現されてもいい。気遣いが伝わることが重要なのです。
最初から専門性を切り出して問題にフォーカスするアプローチではなく、日常の時間を共有する中で、専門性を使う時があってもいいし、使わなくても構わないということです。大切なことは、人と人の出会いと関係なのです。対人援助の中には、解決されるべき具体的課題があって、専門的対応が意味を持つこともたくさんあります。一方で、簡単には解決しない苦しみを抱えて生きる人々を支援し続けるのも大事なテーマです。

研究科の持つリソースとして、団先生の漫画がありました。漫画をパネルにして展示することで、さりげなく地域に入り、人々が集まってくるスペースを創り出せる。やってきた人の中には、漫画をじっくり読んで去っていく人もいれば、そばにいたスタッフにボソボソと話し出す人もいる。別の機会に調査研究をしましたが、団先生の家族漫画は、実際、人々の記憶に働きかけ、感情や感覚を刺激し、人々の物語を活性化することがわかっています。あるいは、漫画は読まず、その場にいるだけの人もいる。そんなふうに、漫画展とプラスアルファのプログラムによって、現地の人々と京都から行く私たちが自然に交流できる場を設定しています。細く長くということで、スタート時から、東北4県を年1回、10年間続けると決めていました。遠く離れた被災地と京都の大学の間にプロジェクトという回路を開き、「また来年!」と言って別れられる関係が継続するなかで、だんだん互いの存在が大きくなり、おもしろいことが次々に起こってきています。

服部 それは、立命館大学応用人間科学研究科という名で始めたんですか?

村本最初は大学の社会貢献という名目でしたが、すぐに院生教育の意味を持つことに気づきました。他の例からも言えることですが、息長い支援をするためには、支援を日常の仕事の延長に置くのが一番なのです。結果として、サービスラーニングという位置づけになっています。

Kuniko MURAMOTO 村本 邦子

立命館大学応用人間科学研究科教授/1990年より女性ライフサイクル研究所所長(2014年3月まで)。2001年The Union Institute 大学院博士課程修了(Ph.D)、現職着任。専門は臨床心理学&女性学。主な著作に『暴力被害と女性』(昭和堂)、『臨地の対人援助学:東日本大震災と復興の物語』(共著、晃洋書房)など。

教育という意味では、たとえば心理学を学ぶ院生にとって、こういった活動に参加することにどのような意義があるでしょうか?

服部 視野が広がるということではないでしょうか。心理学にもいろいろな考え方やアプローチがありますが、特に、基礎的な心理学は、対人援助学のようなアプローチとは対照的です。心理学の強みは理論なんです。理論は演繹を可能にする。つまり、目に見えないことや体験したことがないことを予測できる。そのおかげで、常識では想像もつかないことが発見できるんです。
しかし、理論ベースで深く追求していくことにはトラップがあって、理論で扱いやすい範囲のことしか考えなくなってしまう。人間の姿を見ずに、現実から乖離してしまうこともあります。それを避けるために、人の心のありさまをみるという意味で、こういったプロジェクトに参加することは、自分の研究を根本から見直すとてもよい機会になるのではないでしょうか。現実世界で、生身の人間がするダイナミックな振る舞いを見つめる。すると、自分の立ち位置を再確認することができるかもしれません。
心理学は理論から現実に向かう、かたや対人援助学は現実から理論に向かう。これらが本当の意味で相まみえるのは相当難しいことですが、研究に携わる者は常にそれを念頭に置いておく必要があると思います。だからこそ、対照的なアプローチに触れる経験は、専門を極めようとする学生にとってこそ大切なのです。

村本 私は生身の人間を無視した実験には批判的です。人に関心を向けず、理論や知的興味だけの研究に反対なんです。そういう意味で、心理学領域の院生が、通常の枠組みから離れ、人々がどんな風に生きているかを知ってもらうというのに意味があると思います。

服部 そうですね。研究がトラップに陥ると、実験のための実験をする研究になったり、当たり前のことを実験で確認するだけの研究になってしまいます。結論を聞くと「なんだ、そんなこと、みんな知ってるでしょう」ってなる。もちろん、優れた研究でも、素人には単にスゴさがわからないせいで、結論だけ聞くと当たり前に聞こえることもよくあります。ですから区別は難しいのですが、やはり、研究者として一般の人にも認めてもらおうという視点は、研究がトラップに陥らないために重要です。「視点を変えて人の姿を見る」というようなことが大切なのも同じことです。

Masasi HATTORI 服部 雅史

立命館大学総合心理学部教授/1996年北海道大学大学院文学研究科行動科学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。2016年より現職。専門は、認知心理学、思考心理学。日本認知科学会(常任運営委員・編集委員)、日本認知心理学会、日本心理学会ほか所属。主な著書に、『基礎から学ぶ認知心理学』(共著、有斐閣)、『思考と推論』(監訳、北大路書房)など。

なるほど……。では、対人援助のこれまでの参加者で、特に変わったことはありましたか?

村本 ストレートで学部から入ってきた臨床心理学領域の院生でしょうか。彼らは「専門家になるぞ」って意気込んで入ってきますよね。でも専門家である前に人間であることが認識できるってこと。人と人の出会いがあって、初めて専門知識、スキルが成り立つことに気づきます。そこに自分を見つめ直す瞬間があり人間としての成長があります。

こういった活動を通じて、新しい相手との対話、出会いがあり、自分の常識が変えられていくと思います。そのたびに自分の中の対応力が育つ。人間的成長に関わるところですよね。常に自分の殻を破っていく変容力。

服部 心理学の領域だと、自分自身をまったく異なる文脈に置いてみて、新しい視点を得るということでしょうか。心理学の用語で、アインシュテルングということばがあります。うまくいっていると思考が硬直化するということです。常識の殻は、自分ではなかなか破れない。でも、新しい環境に身を置くことで気づきがあり、自分で見つけようとしていくことができるかもしれない。

村本 被災地の人々が暮らす文脈の中に入っていき、五感を使って、人々に出会い、交流します。そのなかで新しい発見があり、視点の転換があり、自分自身の相対化がある。今はいろんな人の声を重層的に重ねて現実を描き出すことが成果だと思っています。院生たちはそこからちゃんと自分の研究テーマとの関わりを見出していきます。さらに仕事、対人援助のあり方にも結びつけて整理していきます。私は、「学び方を学ぶ」と言っていますが、被災地のことを学ぶだけでなく、それを通じて、実践を通じて学ぶ姿勢を身につけてもらえればと思っています。