写真左より:松原 洋子副学長 / 髙橋 政代株式会社ビジョンケア 代表取締役社長・リサーライフサポート室キャリアアドバイザー

Special Edition#20

研究者であるより臨床家として
網膜再生医療研究の世界トップを走る

SPECIAL TALK 特別対談

松原 洋子副学長(研究・ダイバーシティ&インクルージョン担当)

髙橋 政代株式会社ビジョンケア 代表取締役社長
リサーライフサポート室キャリアアドバイザー

結婚して子どもを産んでも続けたい。だから眼科を選んだ

松原
髙橋先生は、昨今のコロナ禍を巡ってSNSで積極的にご意見を発信されていますね。
髙橋
理由の一つは、でたらめな知識に基づいた間違った情報が一般の人々に流れることを危惧したからです。私自身、京都大学医学部附属病院(以下、京大病院)勤務時代に病棟の管理責任者として感染対策に携わった経験もあるので、「正しい情報を発信しよう」と思ったのがきっかけです。
松原
研究者の中には自分の専門の範囲内だけで活動する方もいますが、髙橋先生は研究と社会の関係に自らコミットされているという印象を持っています。
髙橋
眼科の中でも治療法の見つかってない難病を専門にしていることから、これまでに間違った情報に絶望し、人生が変わってしまう人を大勢見てきました。特に再生医療はまだマウスでの実験段階からマスコミに大々的に取り上げられた結果、希望にあふれて来院され、治らないとわかって二度目の絶望を味わって帰られる。そんな患者さんを見てきたことが、「正しい情報を伝えて安心してほしい」という思いの根底にあります。
松原
そもそも眼科医を志したのはいつですか。
髙橋
母親の影響で、将来結婚して子どもを産んでも仕事を続け、自立すると考えていました。そのためには「手に職」をつける必要があると思い、志望したのが医師でした。眼科を選んだのも同じ理由です。日中は忙しいけれど、時間外勤務が少ないことが決め手でした。
松原
眼科医には比較的女性が多いですね。
髙橋
それも眼科を選んだ理由の一つです。女性が少ない組織では、一人の印象で「女性はダメだ」などと決めつけられることがありますが、眼科には男性と同様女性にも多様な人がいて、「女性だから」と一括りで判断されることが少なかったように思います。
松原
私自身も立命館大学で初の女性の常任理事、副学長になりましたが、少数派であるために「特別な存在」にならざるを得ないことがありました。現在は女性の学部長が4名に増え、常任理事会にも女性がマイノリティであることを感じさせない雰囲気があります。女性限定の公募など女性研究者を増やす試みには賛否両論がありますが、一定の割合を確保することで職場・研究環境が整っていくと私は考えています。髙橋先生はどのようにお考えですか。
髙橋
京大病院の眼科病棟に勤務していた時、異例のスピードで病棟の管理責任者に抜擢されました。当初は「私にはできない」と不安でしたが、役職を与えられたことで自覚が芽生え、職務を全うすることができました。研究は当然「実力勝負」ですが、まず女性が特別視されない環境をつくることは、私も重要だと思います。

網膜の「治療」を作ることを目指し「行き当たりバッチリ」で進んできた

松原
京大病院に勤務されていた1995年、おつれあいの留学についてアメリカのソーク研究所に研究員として赴任し、そこで網膜の再生医療研究を決意されたと伺いました。帰国後、研究か臨床のいずれを選ぶか、迷われたことはありませんでしたか。
髙橋
それが私にとって大きな転機となりました。ソーク研究所で、眼科医としては初めて神経幹細胞の存在を知り、「私が神経網膜を作らなければ、5年は研究が遅れる」と使命感に駆られて帰国しました。しかし臨床と研究の両立は想像以上に大変で、あまりの辛さに諦めて一般の病院に移ろうと思ったこともあります。そんな時、「頑張ってほしい」とメッセージをくれたのが、義母でした。義母の理解と励ましがなければ、きっと心が折れていたと思います。
松原
髙橋先生のように強い信念をお持ちでも、誰かの支えや励ましがなければ挫折しそうになることもあるのですね。
髙橋
これまでの道のりは挫折の繰り返しでした。研究と臨床を両方できる場を求めて理化学研究所に転職した時もそうです。「世界最高峰」だと信じていた京都大学を辞して臨床医の間では無名だった理化学研究所へ移るのは、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでした。以来、「網膜の『治療』を作る」という目標を定め、それ以外は「行き当たりバッチリ」を座右の銘に、その場その場で道を選んできました。いよいよ網膜再生医療を事業化するところまでたどり着き、理化学研究所を辞めて株式会社ビジョンケアの起業を決意した時も、周囲には驚かれましたが怖くはありませんでした。
松原
なぜ研究だけでなく、臨床も続けてこられたのですか。
髙橋
私は「研究者」というより「臨床家」であると自任しています。常に患者さんと接点を持ち、最新の治療動向や患者さんが求めているものを捉えなければ私の研究は枯渇すると考えているからです。現在も週1回、外来の診察を継続しているのもそのためです。また「ダブルメジャー」だからこそ新しいことを発見できるとも思っています。

育児も研究もプロジェクトと考えてマネージングする

松原
若い女性の研究者の中には、家庭も研究も100%できないことに傷つき、ひたむき故に研究を諦めてしまう人がいます。そうした後輩にお言葉をいただけたらと思います。
髙橋
諦めるところと、決して諦めてはいけないところを間違えてはならないと言いたいですね。どうしたら自分のやりたいことができるかを考え、あらゆる手段を駆使してほしい。私は家庭と仕事を区別せず、例えば子どものお迎えと食事の支度、色素上皮移植の研究などいくつかのプロジェクトがあると考え、マネジメントを行っていました。
松原
仕事、育児に限らず、人生では親の介護もあれば、自分自身が病気になることもある。その都度目の前のタスクをプロジェクト化して解決するというわけですね。
髙橋
多くの場合、道を妨げるのは、環境よりむしろその人の意識だと私は考えています。最後に残るのは、自分自身の中にある差別感情です。私自身、もともとは心のどこかで「男性に『上』にいてほしい」と思っていました。それを乗り越えることが大切です。
松原
髙橋先生のように前例のない道を切り拓いておられる方でもそんな思いを持っておられたのですね。まずは自分自身の差別観を自覚することが大切なのかもしれませんね。
髙橋
その通りです。自覚できた時にきっと変われると思います。
松原
本日は貴重なお話をありがとうございました。