コラム

カエルの見る世界、「わたし」の見る世界

 学生時代に受けた授業のうちで印象に残っているものの一つに次のようなものがあります。それはカエルには世界がどう見えているかという話でした。

 カエルは目があまりよくないのだそうです。あまり目がよくないというのは、ただぼんやりとしか見えないということではありません。カエルは、動いている小さな点ならよく見えるのですが、同じ点でも、それが静止しているときはよく見えないらしいのです。そして、目の前で小さな点が動くと目ざとくとらえ、すかさず舌を伸ばしてそれを捕らえるのです。そのような目や舌の働きは、ハエのように空中を飛ぶ小さな虫を食するのに適しており、カエルにはとても好都合です。このように、それぞれの動物はそれぞれなりの生活様式に適した形で世界を見ている、というのがその授業のテーマでした。だいぶ昔の話なので、どこまで正確にその授業を思い出せているのかわかりませんが、私の頭の中にはそんなふうに記憶されています。

 それまで、どんな動物もだいたい同じように世界を見ているのだろうと何となく考えていたわたしには、カエルの見ている世界がわたしたち人間とはまるっきり違うという話がとても新鮮に感じられ、記憶に残ったのです。

 同じころ、先天的に目が不自由だった人が大人になってから手術をし、生まれてはじめてものを見た瞬間の体験をある本で読みました。これもどこまで正確な記憶かわかりませんが、だいたい次のような話だったと思います。

 その人にとって、はじめて目にした世界はさまざまな色が無秩序に乱舞しているようなもので、何が何だかわけがわからずとても混乱し、気持ちが悪くなったそうです。そして、その人がちゃんとものを「見る」ことができるようになるまでにはかなり時間がかかったようでした。外界にあるものを意味ある形や色として「見る」ことができるためには、何らかの「枠組み」があらかじめ形成されていなければならないようなのです。

 目の見えなかった人がはじめてものを見ることができたときには、「いままで手で触ることしかできなかった○○はこんな色や形をしていたのか」と、感動しながら思うのではないかと考えていたわたしは、その人の体験に新鮮さというよりも衝撃のようなものをおぼえました。その体験は、目があきさえすればものを「見る」ことができるわけではないのだという事実をありありと示していました。

 おそらく晴眼者も赤ん坊のときからいろいろな経験を通してだんだんとものを「見る」ことができるようになっていくのでしょう。赤ん坊がものを見てそれが何であるかを理解していく過程には知的な能力の発達という問題もあるので、赤ん坊の経験を目の不自由な人のそれと同列に考えるのは適切ではない面がありますが、いずれにしても、ものを「見る」にはそれを可能にするための「枠組み」が生体の内部に形成されている必要があるわけです。

 このように、あらゆる動物は世界を見るための固有の「枠組み」を自分の内部に持っており、その「枠組み」を通して世界を見ていると考えられます。その「枠組み」は視覚的なものだけに関わるのではありません。あらゆる情報はその「枠組み」を通して入力され、処理されると考えられます。「枠組み」にはフィルターやレンズのような性質があり、情報を取捨選択したり屈折させたりするのです。

 そのような「枠組み」には、それぞれの動物に固有のものがあるだけではなく、同じ動物でも個体差があって、人間の場合で言えば、人はそれぞれその人なりの「枠組み」を通してものを見、受けとめ、意味づけをしていると考えられます。たとえば、「何ごとにつけ、ものごとを悪い方へ悪い方へ考える」という「枠組み」を持っている人はいろいろなものがネガティブに見え、「何ごとにつけ、ものごとをいい方へ考える」という「枠組み」を持っている人にはいろいろなものがポジティブに見えやすいわけです。

 古代ギリシャの哲学者エピクテートスは「人は外部のものによって直接的に心を乱されることはない。それを受けとめる考え方によって心を乱すのである」と言ったとのことで、ものごとの受けとめ方が人の気持ちを左右するということは古くから知られていたようです。何かのことで心配になったり腹が立ったりするときにも、そのような「気持ち」の背景にはものごとをそのように感じるような「受けとめ方」があると考えられます。ですから、受けとめ方を変えることで心配や腹立ちが和らぐこともあるのです。

 上で述べたことを別の表現で言えば、わたしたちはみな自分なりの「色眼鏡」を通して世界や自分自身を見ている、ということになります。青みがかった「色眼鏡」を通して見ればものは青っぽく見え、オレンジがかった「色眼鏡」を通して見ればものはオレンジっぽく見えるわけです。いろいろなものがネガティブに見える人は、ものごとがそんな風に見えてしまう「ネガティブ色の眼鏡」をかけている可能性があります。ですから、ときにはふと立ち止まって、「もしかしたら、自分は知らず知らずのうちに色眼鏡を通してものを見ているのではないか」と考えてみるといいかも知れません。


学生サポートルームカウンセラー