コラム

見えるものと見えないもの

「昼のお星は眼にみえぬ。/見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」(金子みすゞ「星とたんぽぽ」)

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』)

「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 人間に限らず、生き物の大半が視覚にたよって生きています。地球上に生物が大繁栄したのは「眼」の存在が大きいようです。ところが、その眼球という器官は化石として残ることがないため、いつ・どのように発生してきたのか、依然として謎のままです(アンドリュー・パーカー『眼の誕生:カンブリア紀大進化の謎を解く』)。しかし、生き物が眼球を獲得したことで、さまざまな進化論的メリットを得たことは間違いありません。
 だからこそ、生き物は視覚情報を大きく信用し、耳で聞くより目で見たものを信頼しています。とくに人間は、ほかの生き物と異なり、嗅覚や聴覚がずば抜けて優れているわけでもないので、視覚に大きく依存しています。通常、人間が暗闇を恐れるのも、その視覚が有効に働かない状況だからでしょう。映画、写真、絵画、漫画、小説など、視覚から摂取される文化芸術の広さからも、「見えるもの」に私たち人間がどれほど左右されているのかがわかります。「百聞は一見に如かず」ということわざはそのことを端的に表しています。
 人間は見えるものを信用し、見えないものは信用しない。そういう傾向があるでしょう。ところが、困ったことにこの世のあらゆる事柄が、必ずしも目に見えるものだけではないのですね。「昼のお星」は目に見えないけれども、たしかに存在しています。キツネが王子さまに教えてくれたように「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のです。そうです、ありきたりな表現かもしれませんが、心はその「見えないもの」の最たる例です。だから「心で見なくてはよく見えない」のですね。
 家族や友人との仲がこじれたとき、あるいは好きな人や恋人の気持ちがわからなくなったとき、私たちはその相手の心を理解したいと思うでしょう。でも心は見えないものですので、なかなか簡単にはわかりません。「あれこれ言うかげには愛情があったことを、見ぬくべきだった」(『星の王子さま』)としても、容易には見えないものです。「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」のに、人は表面的なところだけを捉えて評価・判断しがちです。その相手と対話やコミュニケーションをとることを避けて、自分だけの思い込みで行動しがちです。人間誰しもそういう傾向をもっているでしょう。
 言うは易く行うは難し。わかっていても、相手のことを、相手の心を理解しようと、見ることは難しいことでしょう。そのためにはまず、自分の気持ちや心を見つめてみる必要があるかもしれません。問題と思っていた事柄の一部に、実は自分の捉え方や考え方が関わっている場合もあるでしょう。生き物の目はその構造上、自分の目そのものを直接見ることができません。鏡や水面に映さないと自分の目を見ることができないように、自分のことを話す相手が、相談する他者が存在するから見えてくるものもあるかもしれません。
 大学生活を送る上で、人間関係に悩んだり、学業で苦しんだり、就職活動で落ち込んだりする背景には、なにか自分の目には「見えないもの」が働いているのかもしれません。「なんだかモヤモヤする」とか「気分が落ち込んでばかりだ」とか、そういう気持ちの変化がひとつのサインである場合もあります。自分の気持ちを見つめてみるなかで、問題解決の糸口が見つかるかもしれませんし、誰かに話すことで気持ちが楽になるかもしれません。ほっと安心することではじめて自分の視野が広がり、これまで見えていなかったものが目に入るようになったり、これからどうすればよいのかが見えてきたりします。そのような一助として、学生サポートルームをご活用ください。

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