2005年6月18日 (第2731回)

対馬の考古学

文学部教授 高 正龍

 対馬は、韓国の釜山市から約50㎞、朝鮮半島にもっとも近い位置にあります。歴史的に海峡を隔てた朝鮮をつねに意識しなければならない立地にあると言えるでしょう。全島面積の88%は山地で、農地は3%しか存在しません。

 有名な『魏志倭人伝』に「居る所絶島、山地嶮しく、森林多く、道路は禽鹿の径の如し」、「良田無く、海物を食べて自活し、船に乗って南北に市糴する」とあるように、対馬は地勢上、良好な農地を得ることができず、漁労を生業とし、南北に交易を行なっていたことが分かります。これは弥生時代のみならず、通時的な状況であり、対馬が単に半島に近いというだけでなく、この地勢条件がその後の歴史にも大きく影響したと言えます。

 古代を中心として、対馬は朝鮮半島の文化を取り入れる窓口として、重要な役割を果たしましたが、一旦半島や大陸との関係が悪化すると、その前線基地として難しい立場におかれることもありました。

 対馬の歴史を通して、日本の歴史の一面について考えてみたいと思います。