2010年4月17日 (第2933回)

東南アジアから見た東アジア共同体

近畿大学 教授 西澤 信善

  「東アジア共同体」は昨年の鳩山首相の提唱により再び脚光を浴びた。しかし、「東アジア共同体」構想はすでに10年近く前に発表され、 2005年のクアラルンプールで開催されたASEAN+3(日中韓)の首脳会議および東アジア・サミットで長期目標に設定されていた。 この構想自体、1997年7月のタイを発信源とするアジア通貨危機と不可分の関係にある。アジア通貨危機はASEAN諸国のみならず香港、韓国、ロシアなどに広がり、 東アジア全体を大きな混乱に陥れた。回復に3ないし5年の歳月を要した。東アジアにより強固な協力体制が構築されておれば、 これほど深刻な事態に陥らなかったであろうという反省から、東アジア域内での協力・統合の体制作りが模索されることになった。 その推進の枠組み(フレームワーク)となったのがASEAN+3(日中韓)の首脳会議である。同会議は通貨危機が起こった97年12月に初めて召集され、翌年から定例化された。 98年の同会議で韓国の金大中大統領(当時)の提案により東アジア・ビジョン・グループ(EAVG)が設置され、2001年に提出された報告書で初めて「東アジア共同体」の創設が提案された。 同構想は東南アジアすなわちASEANと不可分であり、また、ASEANはその実現のために主導権を握ることに強い意欲を燃やしている。

聴講者の感想

 「東アジア共同体」という言葉は、最近マスメディアでも目にするようになりましたが、国民的関心はまだまだではないかと感じます。

 しかし、その「五つの目標」にもありますように、“紛争の予防と平和の推進”がベースになるべきだと思います。

 それぞれの国の主権は、当然保障されるべきでしょう。農業問題などその国独自の課題はお互いに最大限尊重されなければなりません。

 “抑止力”のために外国の軍隊が日本に駐留するという異常さは、「東アジア共同体」構想の発展によって解消されるべきと考えます。

 日ごろからもっと深く関心を持つべきだと実感しました。ありがとうございました。