2010年10月23日 (第2955回)

現代日本語の中の漢字

立命館大学文学部 特別招聘教授・立命館孔子学院 顧問・ 神戸大学 名誉教授 中川 正之

 「嵐山」の「嵐」はどういう意味なんだろう?

 「頁」は日本語でどう読むのだろう?

 「床」は「ゆか」と読むのか「とこ」と読むのか?

 「さかな」と「うお」はどう違う?

 「爪切り」の「切」は「きり」と読むのに、「みじん切り」の「切」は「ぎり」と読まなければならない。なぜだろう?

 「牧場」を「ボクジョウ」と読む場合と「まきば」と読む場合はどこがちがうのだろう?

 「表裏」に対応する「うらおもて」はなぜ「うら」が先にくるのだろう。

 朝起きてから夜寝るまで、そんなことばかり考えて40年が過ぎました。疑問は次から次へと沸きあがってきます。

 次の2つの問題はみなさんで答を用意しておいてください。

 「一本、二本、三本」の「ほん」は読み方がそれぞれ異なります。なぜでしょう?

 「三本」を「さんぽん」、「さんほん」と読むことはないだろうか?

聴講者の感想

 今日のお話、ほんまにおろしろおしたわ。

 日本人が普段何気なく使っている言葉は、改めて考えますと大変難しい英語や独語に比べて、外国人が憶えるのは大変な負担に思います。 改めて日本語の微妙なニュアンスがどれほどその表現方法を豊かにしているかを再考しました。これは文学や芸術や日常の会話に至るまで日本人の感性を磨きひいては素晴らしい文化を育てて来たものと信じます。 これからも話にも、書くことにも心して対応して行きたいと思います。今自分史をあれこれと推敲しながら筆を進めておりますが、本日のお話を反芻しながら進めたいと考えております。有難うございました。