2005年10月15日 (第2747回)

法的責任論としてアスベスト問題を考える ―1960年代の公害・環境訴訟との比較において―

政策科学部教授 山本 隆司

 1950年代に生まれた私は、60年代の社会的抵抗運動が盛んだった時期に10代を過ごし、いわば青年期心理学的現象としての反抗期を哲学と社会科学を自分流に解した理論武装によって乗り切りつつその後の人生を展望した世代かもしれない。70年代に入ってからの大学生活を支えていたのはそんな過程で築かれた社会的問題意識であった。

 そんな私が社会的問題意識を喚起された2本の柱がベトナム戦争と公害問題であった。日本の経済発展の中で少しずつ豊かになって行く自分の生活の物質面での進展‥‥実際、テレビが家に設置された日の感動、それがカラーになったときの驚き、冷蔵庫、自動車等が順次備わってゆく過程で味わったある種の充実感と未来への信頼の感覚は今でも忘れられない‥‥ とともに顕在化されてくる様々の社会的矛盾を、ベトナム戦争と公害問題が象徴していたように思う。

 当時は鉄腕アトムとともに夢の時代と想像された21世紀になって、尚蘇ってくる悪夢のように目の前に突きつけられたアスベスト問題に、高度経済成長の恩恵を満喫できた世代としての私は挑まねばならないと考えている。