2011年10月8日 (第2994回)

表と裏の三国志 ~『三国志演義』成立と花関索~

立命館大学文学部 教授 上野 隆三

 『三国志演義』は明代の白話小説です。三国時代の様々な出来事がいろいろと形を変え、内容を豊かにしながら口承により伝えられ、さらには語り物で語られ、あるいは戯曲として演じられ、最終的に明代に小説としてまとめられたものです。小説としてまとめられると、これが様々な印刷の過程で多様な版本に分かれます。そうした版本の特徴のひとつに花関索に関する記事があります。花関索は架空の関羽の息子ですが、花関索に関する故事の多寡が版本によって異なるわけです。花関索については詳細が不明であったものが、中国であるお墓が発掘されたときに『花関索伝』という語り物の本が出土し、それによって花関索の詳細が判明することとなりました。今回の講座では『三国志演義』成立過程の紹介と、『花関索伝』の内容の紹介、さらには四川にある花関索に関する遺跡の写真などをお見せしつつ、その遺跡の調査にかんする派生的な話をしたいと思っています。基本は『三国志演義』に置きますが、途中たびたび脱線することになるかと思いますので、その点はご容赦いただきたいと思います。

聴講者の感想

  これまで土曜講座に参加したことはなかったのですが、好きな三国志の講義だということを看板で見て、 今回参加させて頂きました。正史「三国志」から「三国志演義」が誕生するまでは長い時間があった、 というのは知っていましたが、それだけでなく、数多くの物語の要素が含まれていたり削られていたりの 過程を経ていたことに驚きました。特に十万本の矢を用意したのは実は孔明ではなく孫権であったと 記されていたのには、衝撃を受けるとともに特徴的なエピソードであると思います。花関索という人物 についても初めて耳にしました。その人が三国志にどのようなイメージを付加しているのか、私には 想像し難いのですが、表層文化の裏にかすんでいる地方説話としての好例のような気がします。 本日はありがとうございました。