2005年4月16日 (第2724回)
近世、鴨川の景観
文学部教授 吉越 昭久
現在、市街地の中心近くを流れる鴨川は、美しい景観によって京都のシンボル的な河川として知られている。しかし、その歴史を遡ると、現在とは大きく異なった様相をみせていた。
近世以前の鴨川は、いわば街はずれにあって、堤防なども特に整備されずに幅の広い河川敷を網状に流れていた。当時の人々は、鴨川を鴨東の送葬地などとの境界として、またそれ自体も怖い場所として認識していた。
寛文9(1669)年になって、鴨川には初の本格的な堤防である「寛文新堤」の建設が開始された。完成したのが翌年であるが、この結果、鴨川の河川景観が大きく変わり、周辺の街も変化をみせた。さらに、人々の鴨川に対するイメージにも変化がみられ、水に親しむ行為、つまりウォーターフロント・ブームがこれをきっかけに起こった。
現在の鴨川の景観は、明治期の琵琶湖疎水の導入や昭和期の鴨川改修工事によって最終的には決定されるが、基本はこの「寛文新堤」によって形成されたとみてよい。
当時の史料・絵・地図を通して、近世の鴨川の景観を明らかにする。