2012年5月19日 (第3015回)

鉄条網のなかのコミュニティ: 強制収容は在米日系人社会をどう変えたのか

立命館大学国際関係学部 准教授 南川 文里

 日米戦争のさなかにあった1942年、アメリカ合衆国の西海岸に住んでいた約12万人の日系人(移住者とその子ども)は、「敵性外国人」として内陸部の収容施設に強制的に移住させられました。皮肉なことに、後にアメリカ民主主義の「誤り」「汚点」の一つとして歴史に記録されることになった戦時強制収容所で、アメリカ政府は「アメリカ民主主義とは何か」「アメリカ的生活様式とは何か」を、日系人に「教育」しようとしました。収容所において、民主的な手続きによって収容者が主体的に参加できる仕組みをつくり、日系人にアメリカ的な「コミュニティ」のあり方を実践させようとしたのです。この市民参加のプログラムに対して、日系人はさまざまな反応を示しました。積極的に参加しようとする者、断固拒否する者。それは、日系人社会のなかに分裂を巻き起こし、時には暴動や暴力事件に発展することもありました。この講義では、「鉄条網のなかに作られたアメリカン・コミュニティ」という矛盾を、日系人たちがどのように受けとめ、それが戦前から存在してきた在米日系人社会をどのように変えたのかを考えます。

聴講者の感想

 日米間の戦争は3年8ヶ月余りに及び、その大半を強制収容所の中で過ごした在米日系人は、終始束縛を余儀なくされたであろう。しかしながら収容者を対象に所内で米国流教育を施したのは、たとえ国益を意図したにしても、他国に比し寛容との印象は拭えない。一方、日系人は民族意識が支柱とならず、時には混乱を生じつつも、コミュニティの在り方を考える機会を得たのは僥倖であったとも受け取れる。