2012年7月14日 (第3022回)

漢魏六朝の楽府―民衆の歌

立命館大学文学部 准教授 石井 真美子

 「楽府(がくふ)」とは、もともと漢の武帝の時代に設けられた音楽の役所の名称である。楽府では宮廷の祭祀に関わる歌を扱うほか、民間歌謡を集めて風俗人事を知り、政治に役立てるという職務もあった。やがてそこで採用された民間の歌謡や新しく作られた曲が「楽府(がふ)」と呼ばれるようになった。楽府は最初の作者によって詩と主題と楽曲が決められ、後世の人々はその主題と楽曲を踏襲しながら同じ題でいわゆる「替え歌」を作った。この題が「楽府題」といわれるものである。そして楽曲が廃れてしまうと主題のみを引き継ぐ詩になった。

 これら「楽府」と呼ばれる形式の詩集に、漢~唐までの作品を集めた宋・郭茂倩(かくもせい)が編纂した『楽府詩集』100巻がある。宮廷の宴会や儀式での歌、恋愛叙情歌、周辺異民族の歌、庶民の苦しい生活を歌った社会風刺の歌など、内容は多岐にわたる。今回はこの『楽府詩集』に収められた詩の中から恋愛に関するものと庶民の生活を歌ったものをいくつか紹介し、民が楽府に託した思いを考えたい。

聴講者の感想

 六朝民歌は民謡調の楽府に乗り流行した叙事詞と見られるが、時の社会問題を風刺した警句を含んでもいるのであろう。もともと歌には世相を反映し世情に影響を及ぼす要素があり、それに民族意識が加われば一層助長される傾向がある。

 そこで歴史に照らせば民衆の心と力は予期せぬ結果を招くポテンシャルとなるので、歌はそれを鼓舞するファクターであったかも知れない。