2013年5月11日 (第3055回)

出生前検査は誰のためのものか~技術の倫理を考える~

立命館大学先端総合学術研究科 教授 松原 洋子

 2012年の8月の終わりに、「新型出生前検査」の実施計画が大々的に報道されました。妊娠初期(10週)の段階で、妊婦の血液から3つのタイプの胎児の染色体異常を99%の精度で調べることができる、という内容でした。報道後、医療機関には検査を受けたいという人たちの問合せが相次いだといいます。

 検査の対象となる染色体異常には、ダウン症候群が含まれていました。ダウン症候群の赤ちゃんは、出産時の年齢が高くなるほど産まれやすいといわれています。日本ではこの10年間で高齢出産がほぼ倍増しており、そのことが「新型出生前検査」に対する過剰ともいえる反応に関係しているという指摘もあります。なるほど、わかりやすい説明です。しかし、なぜ「わかりやすい」と感じられるのでしょう。それは高齢出産を控えている人は、胎児がダウン症か否かを確かめたいはずだ、あるいは確かめるべきだ、という考えを暗黙の前提としているからです。では何のために、誰のために確かめるのでしょうか。確かめてから何をするのでしょうか。医療で使われる技術には、その使用について医療としての正当性が問われます。出生前検査という技術がどのように正当化されてきたのかを掘り下げながら、生殖の現在を考えてみたいと思います。