2015年3月7日 (第3121回)

唯の生 ~

立命館大学大学院先端総合学術研究科 教授 立岩 真也

 人を援助することに誰も異論はない。ただもちろん、ときには何が支援することであるのか自体が問われることがある。この主題に関わって書いたものとして比較的新しいものでは、『自閉症連続体の時代』(2014)、『造反有理――精神医療現代史へ』(2013)、『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』(2012)等がある。ただそれは(とくに前2冊に書いたことは)少々ややこしいことではあるので、その話は本のほうにということにさせていただく。

 代わりに講座では、支援の「もとで」であるところの「金」「人」の話をさせていただこうかと考えた。というのも、その(基本的には)よいことである支援をしたくとも、(おもには「少子高齢化」によって)人や金が足りないというのが、ずっと言われ、そんな話ばかり聞いてきた多くの人が心配していることだからだ。私は心配する必要はないと考えていて、そのことを拙著では『税を直す』(2009)、『良い死』(2008)、『希望について』(2006)等に記した。できるだけ簡明にそのことをお話しできればと思う。