2015年8月22日
歴史に学ぶ、「戦争の気配」の感じ方
東京大学文学部 教授 加藤 陽子
騙されていた、との弁明で逃げられたのは昭和20年の敗戦で終わりと心得て、歴史に学びたい。太平洋戦争直前の時期、国民を冷厳なまなざしで眺めていた二人の人間がいた。一人はゾルゲ事件で連座した尾崎秀実、いま一人は昭和天皇である。
1941年8月の時点で尾崎はいう。「日本国内の庶民的意向は支配層の苦悩と殆んど無関係に、反英米的」だと。日米交渉をまとめたいと日本の支配層は焦慮していたが、「満州事変以来十年、民衆は此の方向のみ〔反英米で、引用者註〕歩む事を指導者階級に依て教えられ続けて来た」ので、国民は今更、戦争回避など望んでいない、のだと。
同年10月の時点で天皇はいう。「今迄の詔書について見るに、聯盟脱退の際にも特に文武恪循と世界平和と云ふことに就いて述べたのであるが、国民はどうも此点を等閑視して居る様に思はれる。又、日独伊三国同盟の際の詔書に就ても平和の為めと云ふことが忘れられ、如何にも英米に対抗するかの如く国民が考へて居るのは誠に面白くない」。
かたやソ連のスパイとして処刑された共産主義者、かたや大日本帝国憲法で統治権の総覧者とされた人物である。彼らの目に国民の姿はかく映じていた。