2015年9月19日 (第3139回)

民政移管を契機にミャンマーの国際関係はどう変化したか

東亜大学人間科学部 客員教授 西澤 信善

 2011年3月ミャンマーは軍政から民政に移管し、テインセイン政権が成立した。同政権は開発独裁の道を歩むものと予想されていたが、大方の見方を裏切って政治改革を先行させた。同政権は、民主派との和解、人権状況の改善(欧米の批判の強かった政治犯の釈放)、メディアの自由化、少数民族武装グループとの停戦などを進めた。これらの一連の動きを評価し、欧米諸国はそれまで厳しく科してきた経済制裁を徐々に緩和した。金融取引の制限の解除、新規投資の解禁、ミャンマー産品の米国への輸出禁止の撤廃など経済発展に重大な障害となるようなものは取り除かれた。EUおよび日本もそれに追随した。日本の対応は米国べったりというわけではないが、円借款を停止したことは経済制裁に加わっていたと考えてよいであろう。米国とミャンマーの経済関係はそれほど深いものではなく、日本が支援を本格的に再開したことはミャンマーの経済開発にとってきわめて重要な意義をもつ。特に、ミャンマーにとって決定的に不足する物的インフラ整備に日本の経済援助は不可欠の役割を果たすであろう。もう一つ、テインセイン政権の外交政策で特筆すべきことは、これまでの中国との蜜月関係を見直したことであろう。ミッソンダムの中断はその象徴的な動きである。本格的な開放政策に踏み切ったいま、国際関係はまさにミャンマーの発展を左右するほどの重要性を持ち始めた。