2015年10月17日 (第3143回)

幕末の中川家(弓箭組と北陸道鎮撫)
山陰道鎮撫総督と馬路のひとびと―西園寺公と中川家のひとびとの出会い―

元京都府立高校教員 長谷川 澄夫

 京都の高等学校で生徒のみなさんと日本史の授業を楽しく学びなら、地域の歴史のほりおこしに努めてきた。学校勤務を終えて同市馬路町自治会の町史編さん事業の編集に参加させていただいた。町民のみなさんと楽しい本づくりをすすめるなかで多くの貴重な地域の史料に出会うことができた。その中のひとつが、立命館大学創立者の中川小十郎先生の生家(通称「堀の内」)の史料で、その整理作業に参加させていただいた。 丹波の馬路村(亀岡市)は中川氏・人見氏の「両苗((りょうみょう))」といわれる郷士が村政にあたっていた。戊辰戦争がはじまると新政府は山陰道鎮撫のため西園寺公望を総督として派遣、馬路に兵をすすめた。馬路のひとびとは丹波の郷士たちに呼びかけ「弓箭組((きゅうせんくみ))」を組織して宮津・鳥取・松江と遠く従軍した。小十郎の実父(禄(ろく)左(ざ)衛門(えもん))や養父(武((ぶ)平(へい)太(た)))はその代表として活躍したが、このような西園寺公と中川家の人々の出会いが、後の小十郎と西園寺公のつながりの契機となったのである。このたびの史料整理の成果をもとに、中川先生や馬路の地域の新しい歴史研究がすすめられることを願っている。