2015年10月17日 (第3143回)

幕末の中川家(弓箭組と北陸道鎮撫)
北越戦争と中川家―戊辰戦争における京都・丹波地域の郷士―

立命館大学大学院 文学研究科後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC) 寺澤 優

 京都の秋を彩る時代祭。その行列のなかに「山国隊(やまぐにたい)」と「弓箭組(きゅうせんぐみ)」があります。両隊ともに丹波の郷士集団で、明治維新の際戊辰戦争に新政府軍として参加しました。鳥羽伏見の戦いを受けて、慶応4年1月旧幕府勢力を鎮圧するために、各地に鎮撫使が派遣されます。山陰道の平定のために鎮撫総督として派遣されたのが西園寺公望で、その西園寺の護衛となったのが、弓箭組および中川小十郎の実父である中川禄左衛門と養父武平太たちでした。比較的容易に平定が進んだ山陰道とは対照的に、北越方面では抵抗勢力が多く、越後長岡では新政府軍は厳しい戦いを強いられていました。3ケ月に及んだ山陰道鎮撫ののち、西園寺公望と中川氏、弓箭組は北越方面への加勢を命じられます。しかしながら、この北越戦争に参加した西園寺及び、丹波の郷士集団の動向に関してはこれまでほとんど知られておらず、歴史上空白となっていました。立命館大学が所蔵している「中川家史料」にこの謎をひもとく資料があります。今回の土曜講座ではこの資料を使って、北越戦争での西園寺及び丹波郷士の動向とともに彼等のみた戊辰戦争、明治維新についてお話したいと思います。