2015年11月7日 (第3145回)

私の戦後70年―日韓のはざ間から

立命館大学法学部 教授 徐 勝

 戦争と植民地支配の時代に、京都の周山で私が生まれたときに、一家は飢餓状態でオモニ(母)の乳が全く出ませんでした。オモニは私に砕米で作った重湯と、炒った大豆をかみ砕いて食べさせていたのですが、下痢をして、木の枝のように痩せ、いつ死ぬか分からない状態でした。1945年8月15日に、草取りをしていたとき、敗戦の知らせを聞いて、オモニと2人は抱き合って泥田に座り込んで泣いたといいます。飢餓状態にあった家族の生命の危機が去ったのです。目の前の巨大な壁が急に崩れ落ちたようだったと言います。それから70年、朝鮮戦争、ベトナム戦争を経た東アジアにおいて、なお戦争と対立の芽が無くなっていません。朝鮮半島は分断されたまま対立し、日本は植民地支配責任を未だに果たしておらず、日本と東アジアの歴史認識の溝はますます深っています。安倍政権の安保法制の強行採決は、近隣国家に不安と日本に対する疑念を与えています。その対立のはざ間に生きてきた在日朝鮮人の70年は、民族差別、民族憎悪、国家暴力、戦争危機に点綴された70年でした。