2017年6月17日 (第3206回)

縄文から弥生へ-環境変化が与えた影響

立命館大学文学部 教授 矢野 健一

 日本列島で水稲耕作がはじまるのは紀元前1000年頃です。かつては紀元前300年頃とされてきましたが、考古学と年代測定法の進展により、 年代が古くなることがわかりました。それだけではなく、その頃は、寒冷化が進み、人口が減少していたこともわかってきました。 日本列島における水稲耕作の普及は、このような地球規模の環境変化に対応するための縄文人の選択として位置付けることが可能であることをお話しします。

 縄文時代から弥生時代への変化に関しては、朝鮮半島あるいは中国大陸から稲をたずさえた人々が渡来してきて、高度な文化を普及させたと考える見方が 今でも一般的です。稲作が日本列島外部から伝えられたのは間違いありませんが、それを短期間で日本列島に普及させたのは土着の人間集団です。 我々が縄文人と呼んでいる彼らの歴史や社会の特質を考察し、環境変化への対処として、水稲耕作が彼らにとって自然で合理的かつ必要な 選択肢であったことを説明します。

 稲作の導入はそれまでの社会を大きく変化させ、国家形成に至る契機となりますが、その点において、 彼ら縄文人は真の意味で日本の基礎を築いたとも言えるわけです。