2018年4月14日 (第3236回)

ナラティブと臨床からみる人間と社会――人が語り始めるとき

立命館大学総合心理学部 教授 森岡 正芳

 1950年代フランスでは、人間をトータルに解明しようとする一群の学問分野の総称として”Sciences Humaine”という言葉が定着した。はるか45年も前になる。筆者が学んだ大学で新入生の歓迎講演会なるものが催された。私も時計台下の薄暗いホールに出かけてみた。ノーベル物理学賞の湯川秀樹、フィールド科学の基礎を作った桑原武夫が演台に立った。どんな内容だったか全く覚えていないが、桑原の口から一言Sciences Humaineがはっきり聞き取れた。その後、10年ばかりたっただろうか。レヴィ-ストロースが来日し、その講演会を聞きに行った。桑原があいさつをし、フィールド調査の共同研究で多くの国の研究者たちと行動を共にした経験を話された。同一ルートを同行しても、そこで見聞きしたこと、その記述が互いに全く違うということの事実に驚いたことを率直に語られた。文化の多様性と言語体系の違いが人の認識や記憶までも支配することに、あらためて注目したい。現代において頻発し、先鋭化する文化間対立、紛争の背景に、人の世界認識の多様、多層性の課題が潜んでいる。互いの文化の違いを認めつつ、対話を作り出す。困難だが、新しい時代の中で創造の基盤になる。人間科学研究科にはこのような使命がある。