2018年10月20日 (第3254回)

加藤周一の平和主義

立命館大学国際関係学部 教授 君島 東彦

 2004年、立命館大学国際関係学部に着任したとき、かつて加藤周一が客員教授をつとめた学部に勤務できることをうれしく思った。高校生、大学生の頃、加藤周一はわたしのヒーローだった。

  加藤の生涯を貫くテーマは「日本文化とは何か」という問題である。このテーマは一見政治的でないようにも見えるが、実は政治と深くかかわっている。アジア太平洋戦争(1931-45、加藤は12-25歳だった)という「ばかげた戦争」は、いったいどういう文化によって可能になるのか。加藤は、生涯をあげてこの根本問題に答えようとしたのである。

  加藤は、米国のジャーナリスト、I. F. ストーン(1907-1989)のように、少数派・独立派であり、それゆえに透徹した観察眼を持ち、日本政府の政策に対して無力であったが、しかし日本の軍事化、米国の戦争への加担に対して批判的に発言した。

  2004年、84歳のときに、加藤は「九条の会」の呼びかけ人に加わった。アジア太平洋戦争への応答が日本国憲法9条であり、この戦争を傍観した知識人=新しき星菫派を批判した加藤は、9条改憲の動きを傍観できなかったであろう。それは倫理の問題である。

  今回、「加藤周一の平和主義」について考え、話をする機会を与えていただき、ありがたく思う。