2005年5月14日 (第2727回)

戦場の記憶―野間宏の「崩解感覚」を中心に―

大学院先端総合学術研究科教授 西川 長夫

 戦後50年よりも、戦後60年の今年になって東京や大阪の大空襲が強く思い出されているのは、おそらく9.11に続く米軍のアフガン空爆やイラク戦争があったからだろう。興味深いのは、そうした空襲が「戦場」の記憶として語られ始めていることだ。この認識は正しいと思う。近代の国民国家成立以後、つまり総力戦の時代にあっては、戦闘地域と非戦闘地域、戦闘員と非戦闘員の区別はありえないからである。

 野間宏はその時代の問題と矛盾を抱え込み、しかもそこからはみ出してしまうという意味で、戦後文学の最も大きな存在であった。

 昭和17年フィリピンの前線に送り出された野間は病をえて帰国、思想犯として陸軍刑務所に入れられ、戦闘に参加することも戦闘を描くこともできなかったが、戦争はつねに彼の作品の深いモチーフになっている。戦争は戦後の日常性の深淵に通じていた。

 「崩解感覚」と題された作品のテキスト分析を通して、戦争の意味を考えてみたい。