2005年6月4日 (第2729回)

縄文文化の西と東

文学部助教授 矢野 健一

 日本の原像を語る上で、縄文文化から弥生文化へどのように移行したかという点に関する議論は非常に重要です。一般には、東の縄文、西の弥生、というイメージが強いですが、近年、特に縄文文化の多様性に目が向けられています。

 縄文文化は、地域色の強い多くの文化の複合体といってもよいのですが、地域文化相互の関係が常に変化し、各地域が大きくまとまったり、細かく分かれたり、といった動きが繰り返された点が、特徴的です。いわゆる縄文文化の東西差とは、このような統合と分化が盛んであった範囲の差から生じていると考えてよいでしょう。

 その東西差の実態をどのように理解すればよいでしょうか。また、このような動きは地域人口の増減と直接関係しており、縄文文化の前半期には、かなり大幅な変動を示しますが、後半期には変動の幅が小さくなり、弥生文化の基礎となる地域色が形成されていきます。

 弥生文化への移行とも関係するこのような変化についても話したいと思います。