■「後方支援スタッフ派遣」第10便 活動報告
災害復興支援室では、中長期的支援が求められる東北の被災地へ学生を継続的に派遣する企画
「後方支援スタッフ派遣」を、サービスラーニングとは異なる位置づけで実施中です。
今回も前回に続いて、宮古市災害ボランティアセンターからの派遣による被災した海岸の清掃
および仮設住宅内集会所での傾聴活動等に参加しました。

【第9便の概要】
参加人数:学生12名、引率職員3名
日 程:2012年6月28日(木)から7月3日(火)
宿泊場所:宮古市災害ボランティアセンター・生活復興支援センター ボランティア宿泊スペース
活動場所:宮古市内 応急仮設住宅、集会所内集会所等
活動内容:津波防災学習会参加、被災した海岸の清掃、支援関係者との交流、仮設住宅生活支援の補助
<スケジュール>
6/28(木) 夜 京都駅出発
6/29(金) 岩手県入り 大槌町の津波被害跡の見学、田老地区の津波被害説明「学ぶ防災」に参加
6/30(土) 海岸清掃(宮古市高浜)、写真修復作業の見学、支援関係者との交流
7/ 1(日) 宮古市内4箇所の仮設住宅集会所での生活支援活動(傾聴)のサポート
7/ 2(月) 宿舎清掃、観光(宮城県・松島)、帰路
7/ 3(火) 朝 京都駅着(解散)
<参加学生のコメント(終了後のアンケートより一部抜粋)>
■初めて被害を受けた場所に立って
たろう観光ホテルで見せていただいた津波の映像に大変ショックを受けました。目の前で一瞬にして
大切にしているものが消えていく状況を、一体どうやって受け止めればいいのか、どんな心境であの
映像を撮影していたのかを考えると苦しくて仕方がありません。
これまで私も自宅で報道による津波の映像を見ていました。しかし、実際に私も被害を受けたその
場所に立って、そこで何が起こったのかをこの映像見たとき、初めてこの震災の中に自分を投影させ
て考えさせられました。また、めちゃくちゃになった土地がある程度整理された今起こっている、
行政・法律と被災地の方々の気持ちの不一致の問題も、現場を訪れ、被災地の方々のお話を伺った
ことで、初めて災害から身を守ることと、生活していく上での充足感のバランスを考えることが困難
であることに気付かされました。
<経済学部 4回生>
■被災地に赴く意味について
訪問に際して感謝の言葉を多く頂いた事が印象的でした。
私たちは支援をさせていただく立場でありながら、逆に何度も「ありがとう」「ご苦労様」「また来て
ね」という声を、被災地の方々から掛けて頂き、励まされました。それが非常に印象的でした。
今回の私たちの様な短期活動の学生ボランティアは、どうしても相手に何かを残すというギブの面より
も、相手から学ぶというテイクの側面のほうが大きいと思っていました。しかし先に挙げた様な感謝の
言葉を耳にすると、被災地に赴く事も、一つの大きな“私たちにできる事”であるのかなと感じました。
<文学部 4回生>
■今回の派遣に参加して思うこと
仮設住宅の集会所での活動を通じ、同じ仮設に住む住民の方でも、談話室に来て私たちとお話をして
くれる人もいたし、話をしたくないと思っている人がいたようだった。辛い経験を皆が乗り越えていく
には息の長い活動が必要だと思いました。
行動をとる、と言うことも大事だし、なにか東北のひとのためにすることも大事ですが、それらの結果
論だけではなくて、被災者の人に寄り添ってお話を聞くこと、被災地の現状を知ること、被災地のこと
を忘れずに思い続けることもすごく大切だと気づくことができました。
ボランティアの課題もいろいろありますが、その活動の中で、一瞬でもその人が楽しいだったりうれし
いという思いをしてくれることができたらそれはやってよかったのだと思うようになりました。
<国際関係学部 3回生>
*引率職員より
震災当初は、衣・食・住と被災された方々のニーズが似ており、一つの方法を早く、広範囲に実施する
ことが求められていました。しかし、現在は各地区、各仮設住宅で課題も異なり、単純にこれをすれば
解決するという課題は存在しません。被災者一人一人に話を聞き、ニーズを吸い上げるとともに、問題
のボトルネックは何かを考え、その上で支援なのか、自助努力なのかを決めなくてはならず、対応の
難易度が格段と高まっているのを実感しました。ボランティアが細く長い支援が必要といわれる理由が
理解できました。
<秘書課 職員>
現地での最初の活動である田老地区の視察で、地元の方からは「絶えず来てくれてありがとう」という
お言葉を頂き、まだ何も活動をしていない中、足を運んだだけで感謝されるというのは複雑な心境で
あった。しかしながら、被災地の方や現地で長期間にわたりボランティア活動をされている方の共通の
考えとして、メディアの報道や世間の関心が薄れていくことを一番恐れており、継続して現地に支援
スタッフを派遣すること自体が歓迎されることだということ感じた。
<国際企画課 職員>
「後方支援スタッフ派遣」を、サービスラーニングとは異なる位置づけで実施中です。
今回も前回に続いて、宮古市災害ボランティアセンターからの派遣による被災した海岸の清掃
および仮設住宅内集会所での傾聴活動等に参加しました。
【第9便の概要】
参加人数:学生12名、引率職員3名
日 程:2012年6月28日(木)から7月3日(火)
宿泊場所:宮古市災害ボランティアセンター・生活復興支援センター ボランティア宿泊スペース
活動場所:宮古市内 応急仮設住宅、集会所内集会所等
活動内容:津波防災学習会参加、被災した海岸の清掃、支援関係者との交流、仮設住宅生活支援の補助
<スケジュール>
6/28(木) 夜 京都駅出発
6/29(金) 岩手県入り 大槌町の津波被害跡の見学、田老地区の津波被害説明「学ぶ防災」に参加
6/30(土) 海岸清掃(宮古市高浜)、写真修復作業の見学、支援関係者との交流
7/ 1(日) 宮古市内4箇所の仮設住宅集会所での生活支援活動(傾聴)のサポート
7/ 2(月) 宿舎清掃、観光(宮城県・松島)、帰路
7/ 3(火) 朝 京都駅着(解散)
<参加学生のコメント(終了後のアンケートより一部抜粋)>
■初めて被害を受けた場所に立って
たろう観光ホテルで見せていただいた津波の映像に大変ショックを受けました。目の前で一瞬にして
大切にしているものが消えていく状況を、一体どうやって受け止めればいいのか、どんな心境であの
映像を撮影していたのかを考えると苦しくて仕方がありません。
これまで私も自宅で報道による津波の映像を見ていました。しかし、実際に私も被害を受けたその
場所に立って、そこで何が起こったのかをこの映像見たとき、初めてこの震災の中に自分を投影させ
て考えさせられました。また、めちゃくちゃになった土地がある程度整理された今起こっている、
行政・法律と被災地の方々の気持ちの不一致の問題も、現場を訪れ、被災地の方々のお話を伺った
ことで、初めて災害から身を守ることと、生活していく上での充足感のバランスを考えることが困難
であることに気付かされました。
<経済学部 4回生>
■被災地に赴く意味について
訪問に際して感謝の言葉を多く頂いた事が印象的でした。
私たちは支援をさせていただく立場でありながら、逆に何度も「ありがとう」「ご苦労様」「また来て
ね」という声を、被災地の方々から掛けて頂き、励まされました。それが非常に印象的でした。
今回の私たちの様な短期活動の学生ボランティアは、どうしても相手に何かを残すというギブの面より
も、相手から学ぶというテイクの側面のほうが大きいと思っていました。しかし先に挙げた様な感謝の
言葉を耳にすると、被災地に赴く事も、一つの大きな“私たちにできる事”であるのかなと感じました。
<文学部 4回生>
■今回の派遣に参加して思うこと
仮設住宅の集会所での活動を通じ、同じ仮設に住む住民の方でも、談話室に来て私たちとお話をして
くれる人もいたし、話をしたくないと思っている人がいたようだった。辛い経験を皆が乗り越えていく
には息の長い活動が必要だと思いました。
行動をとる、と言うことも大事だし、なにか東北のひとのためにすることも大事ですが、それらの結果
論だけではなくて、被災者の人に寄り添ってお話を聞くこと、被災地の現状を知ること、被災地のこと
を忘れずに思い続けることもすごく大切だと気づくことができました。
ボランティアの課題もいろいろありますが、その活動の中で、一瞬でもその人が楽しいだったりうれし
いという思いをしてくれることができたらそれはやってよかったのだと思うようになりました。
<国際関係学部 3回生>
*引率職員より
震災当初は、衣・食・住と被災された方々のニーズが似ており、一つの方法を早く、広範囲に実施する
ことが求められていました。しかし、現在は各地区、各仮設住宅で課題も異なり、単純にこれをすれば
解決するという課題は存在しません。被災者一人一人に話を聞き、ニーズを吸い上げるとともに、問題
のボトルネックは何かを考え、その上で支援なのか、自助努力なのかを決めなくてはならず、対応の
難易度が格段と高まっているのを実感しました。ボランティアが細く長い支援が必要といわれる理由が
理解できました。
<秘書課 職員>
現地での最初の活動である田老地区の視察で、地元の方からは「絶えず来てくれてありがとう」という
お言葉を頂き、まだ何も活動をしていない中、足を運んだだけで感謝されるというのは複雑な心境で
あった。しかしながら、被災地の方や現地で長期間にわたりボランティア活動をされている方の共通の
考えとして、メディアの報道や世間の関心が薄れていくことを一番恐れており、継続して現地に支援
スタッフを派遣すること自体が歓迎されることだということ感じた。
<国際企画課 職員>