Reportレポート・参加者の声

能登半島地震のボランティア参加者友松さんへインタビューをおこないました!

とにかく行動を。自分の活動が
大きな復興の一部になることを感じてほしい

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2024年元日、能登半島で起きた地震はマグニチュード7.6。阪神淡路大震災や熊本地震を超える規模だった。最大震度7の揺れと津波によって、家屋やビルの倒壊、道路の損壊、広範囲の火災など大きな被害を受けた。さらに9月の豪雨もあり、1年以上経った今もまだ十分に復興は進んでいない。友松皇太さんは、そんな能登半島で2回にわたって災害復興ボランティア活動を行い、今後も続けていきたいという。友松さんに、活動の動機や現地で感じたことなどを聞いた。


◎地震や豪雨の被害を受けた能登半島へ
友松さんは大分県の出身。高校生のときにも、保育園での保育士たちの補助やラグビーワールドカップでの誘導や案内といったボランティア活動をしていた。「ラグビーワールドカップのときは外国の方を案内していたので、もっと英語力を鍛えようという次の目標もできました」と、普段とは違う経験をすることで気づきや刺激を得たと話す。もともと友松さんがボランティア活動に関心を持つようになったのは、熊本地震(2016年)や九州北部豪雨(2017年)が身近で起こり、ボランティアの活動を見ていたからとのこと。特に、スーパーボランティアといわれ、メディアでも話題になった人が大分県出身だったこともあり、「災害が起こるのは困るけど、機会があれば災害復興ボランティア活動をしたい」と、高校生の頃から思っていたという。そこにあるのは「誰かのためになれば」という気持ちだ。「人助けというと大げさですが、誰かが喜んでくれるとうれしい。できることがあれば何でもやりたいと思っています」
能登半島地震の発生時、友松さんは実家でエントリーシートを書いていた。被災地のライブ動画を見て、「これはただごとではない」とボランティア活動しようと考えたそうだ。だが、実際に活動したのは11月。「SNSなどでまだ復興が進んでいないと知り、『やばい!忘れていた』と。それで、すぐにボランティア募集サイトを調べて申し込みました」と友松さん。友人とスケジュールをあわせている時間がないので1人での参加を決めた。経験者の動画をチェックするなどして必要な道具を買い揃えて出発に備えたのだが、長靴はいるだろうと思っていたものの、怪我を防ぐ安全靴や目を守るゴーグル、雨にも対応できる服装が必要だと初めて知ったという。
fukkor/image/20250313 noto report02就職後もボランティア活動を続けたいと話す友松さん


◎先の見えない状況に不安を感じたことも
ボランティア活動前日に夜行バスで金沢駅に移動し、早朝に駅から専用バスで輪島市へ向かった。地震や豪雨の跡が残る被災地の様子に「きれいになるのに何年かかるのだろう」と不安感や無力感を覚えたと話す。「自分の目で見るのと、映像とでは全然違います。報道では倒壊したビルなど象徴的な絵が流れますが、それだけではありません。道路はどこも亀裂だらけだったり、営業中のスーパーも実はギリギリの状態だったり。映像には映らなくても、身近なところに災害の爪跡がたくさんあるんです」

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11月の活動時、まだ輪島市内のいたる所に地割れが残っていた。奥には山積みになった土嚢袋

この日、友松さんが担当したのは、宅地に流れてきた土砂を土嚢袋に詰めて撤去すること。体力的にもきつく、土砂はすくってもすくっても終わりがないように感じた。また、移動に時間かかるため、現地での作業時間は思った以上に少ない。「1日では足りない」と不完全燃焼な気持ちがあり、帰宅後すぐに次の活動を申し込んだ。

2回目のボランティアは、1日目は珠洲市、2日目は輪島市での活動だった。珠洲市での作業は廃棄物をトラックに積んで処理場へ運ぶこと。この日は、「君、若いね!」とリーダーを任されたという。グループには60代70代の人も多くて萎縮しそうになったものの、作業計画を立て、皆に声がけしながら進めていった。
輪島市での作業は土砂の撤去だった。雨の中、きつい作業を続けていると、先の見えない状況にネガティブな気持ちになったという。でも、その日のリーダーに「これだけできたら、住人の皆さんも喜んでくれるよ」と声をかけられて変わったと話す。「先を見すぎないことも大切なんだ、目の前のことをやっていけば復興につながると気づかされました」
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 12月に訪れた輪島市では冷たい雨の中、土砂の撤去作業を続けた。人が安全に通れるようになるまで1日かかった

◎あれこれ考えるよりも現地に行ってみてほしい
能登半島での災害復興ボランティア活動によって、友松さんは「とにかく行動することが大切」だと思ったという。あれこれ考えるより、目の前のことを一つひとつ解決することが大切だと。「就職活動を言い訳にして、11月まで忘れていたこともそうです。1日あれば活動できたはずと反省しました」

4月から大手小売企業に勤める友松さんだが、これからも能登半島でのボランティア活動を続けるという。また、「より多くの人に現状を知ってもらいたい。風化させたくない」とも話す。
「とにかく現地に行って、自分の目で見て、活動してほしいです。若いボランティアが少ないので、学生がいるというだけで『若い子がいると元気になる』『若い子が関心を持ってくれている』と喜ばれます。立命館には災害復興支援に関する旅費支援制度があり、制度を使うことで経済面での負担なら減らせます。まずは一歩踏み出して、自分たちが大きな復興の一部になっている、自分たちの活動が少しずつでも復興を前に進めている、そのことを感じてほしいです」

友松皇太さん 法学部4年生(取材時)
大分県出身。修学旅行で訪れた京都の街並みが好きだったと立命館大学へ進学。部活動をしていなかったこともあり、高校時代から「時間のある今しかできないことをしたい」とボランティア活動に参加していた。

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