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 2022年8月24日(水)から26日(金)まで、「チャレンジ、ふくしま塾。」フィールドワークを実施しました。学部1回生から大学院生まで、所属学部も様々な学生23名が参加しました。
 午前7時35分、京都駅に集合。東海道新幹線と東北新幹線を乗り継ぎ、お昼過ぎに福島駅に到着しました。参加学生は昨年も参加した者がいるものの、ほとんどが初対面です。少し硬い雰囲気でバスに乗り込み、被災地に向かいました。
 まずは、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れました。
 展示物や動画、あるいは語り部の方のお話などから、福島ではこの10年間、地震、津波そして原子力災害からの復興、という極めて困難なミッションに向き合ってきたのが分かります。東京電力福島第一原発事故に伴う原子力災害により、福島県では今も数万人が古里を離れての生活を余儀なくされ、風評被害への対応も終わりが見えません。福島県内の犠牲者は4,000人を超え、福島、岩手、宮城の被災3県で突出して多い数となっています。


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原子力災害伝承館を見学する学生たち
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伝承館での集合写真


 2日目、朝から浪江町にある請戸小学校を訪問しました。震災当時通っていた児童93名は教職員の迅速な判断と児童の協力により、津波から奇跡的に全員が無事避難したことで知られています。後世へ伝承していくための施設として、2021年10月から一般公開されています。
 施設内は一部整備されているところもありますが、震災当時そのままの状態で保たれています。ひしゃげた窓枠、大きく破れた天井、泥だらけのオルガン、がれきに埋もれている教室や体育館、現地での被災状況を目の当たりにした学生たちは、真剣な眼差しで教室を周り、時には驚いた表情を浮かべていました。
 その後、ふれあいセンターなみえに移動し、NPOコーヒータイムの橋本由利子さんから震災当時のお話を伺いました。橋本さんは浪江町で生まれ育ち、2006年に障害者小規模作業所コーヒータイムを立ち上げました。震災後は避難先である二本松市で再開されています。障害をもっている方々がどのような思いで避難されているのか、また、どのような支援が必要なのかを伺いました。
 午後は双葉町秘書広報課長・橋本靖治さんの案内で双葉町の視察です。帰還困難区域を抱えている双葉町では、避難している町民の2割しか双葉町に戻る意思を示していません。ですから復興ではなく、駅の周りを中心とした新しい街を創造していくのだそうです。
 双葉駅周辺に造営中である住宅を中心としたコミュニティ空間を見学した後、バスで帰還困難区域に向かいます。ゲートにて入構のチェックを受ければ、いよいよ帰還困難区域です。まず目についたのが、放射能による汚染土を積み上げた土壌貯蔵施設です。いくつもの丘が並んでいるようであり、その圧倒的な量に驚かされました。
 帰還困難区域の中には橋本さんが暮らしていた集落があります。実家近くの神社にバスをとめ橋本さんのお宅に向かいます。神社もお墓も何もなかったかのように佇んでいます。ただ、住宅は手入れされておらず、草や枝が茫々で伸びきっています。橋本さんの実家の中は足の踏み場もないほど物が散乱し、強烈な臭いが充満していました。震災後2度ほど片づけに入ったそうですが、いのししが家内に侵入し、冷蔵庫から何から荒らされるのだそうです。マスコミの報道などで紹介されていますが、実際に現地で体験してみると、その空気感や臭いに圧倒されます。原子力災害の事象の重さ、時間的な長さを考えさせられました。
 次に、帰還困難区域に隣接する双葉南小学校を引き続き橋本さんの案内で訪れました。震災直後、授業中の児童たちは校庭に避難しました。余震が続いていたため、その日は保護者の迎えでそのまま帰宅しました。誰もが次の日はいつものように学校に行くことができると思っていましたが、翌朝、福島第一原子力発電所が爆発の危険があるため緊急事態となり、国が用意したバスで急遽避難しました。双葉南小学校は、山あいの学校のため津波の被害はなかったのですが、避難した時にほったらかした机の上のランドセルや給食袋、引き取りに来るはずだった下足場に入れてある靴などがその時のまま残されています。原子力災害が起こった時の慌ただしさ、その時の恐怖感が伝わってきました。
 その後、大熊町のイノベーションセンターに移り、この二日間で学んだこと、経験したことを振り返りました。学生たちは震災の現状に想像以上に衝撃を受け、そこで生きる人々に大きく心を揺さぶられているようでした。


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請戸小学校の教室             
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帰還困難区域で橋本さんの説明を聞く学生たち

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橋本さんの実家の中
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大熊町イノベーションセンターでの振り返り

 3日目の最終日は、楢葉町天神岬スポーツ公園内の施設で、一般社団法人ならはみらいで活躍している本学卒業生(西﨑芽衣さん、森雄一朗さん、村尾直広さん、米田若菜さん)との懇談をおこないました。OB・OGの皆さんは被災地の出身ではなく、自分の意思でこの地で暮らしています。楢葉町の当時の被災状況や現状、なぜこの地で暮らそうと考えたのか、暮らしてみて人々との関係はどうかなど、様々な切り口から話の輪が広がりました。はじめは硬かった学生たちですが、このころにはお互いの遠慮もなくなり、積極的に話の輪に加わるようになっていました。
 福島駅までの帰路、川俣町に立ち寄り、2019年10月に起こった台風19号に伴う河川氾濫の跡地を視察し、夕方の新幹線で福島を後にしました。
 この3日間、原子力災害の被災地を周りましたが、地域によって様々であることが分かりました。楢葉町は被災から4~5年後に帰還困難区域を解除され、約60%の住民が帰還しており、元の暮らしが戻ってきています。一方、風向きにより放射線量が高い浪江町、双葉町は約20%しか帰還する意思を示していません。双葉町ではようやく一部で帰還困難区域が解除されたものの、未だに生活できない区域が多く、ようやく復興に着手したばかりです。
 現地でしか触れることのできない感覚や雰囲気など、学生たちは多くのことを体験しました。特に、被災地で活躍する明るく強い人々との出会いから、多くのことを学んだと思います。「チャレンジ、ふくしま塾。」では、この秋から冬にかけて、グループごとに現地で活動することを予定しています。今回のフィールドワークで積み上げた想いをどのような形で表現していくのか。この活動を通じ、「チャレンジ、ふくしま塾。」が学生たちの成長につながることを信じています。



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楢葉で暮らす卒業生との懇談風景
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OB・OGとの集合写真