社会学研究科博士課程前期課程2 回生の谷原吏さんが、第69回関西社会学会大会において大会奨励賞を受賞されました。
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2018-09-18

社会学研究科博士課程前期課程2 回生の谷原吏さんが、第69回関西社会学会大会において大会奨励賞を受賞されました。

  社会学研究科博士課程前期課程2回生の谷原吏さんが、2018年6月2日から3日にかけて、愛媛県松山市の松山大学で開催された第69回関西社会学会大会において、「相互行為場面における『適切さ』の現代的特徴-ビジネス雑誌に表象される場面に着目して-」をテーマに発表を行い、大会奨励賞を受賞されました。

  この賞は、関西社会学会各年次大会において、若手会員によって発表された優れた一般報告に対して授与され、受賞者の研究の進展と社会学の発展を目指すものです。

 

受賞URL  https://www.ksac.jp/2018/08/27/encaward69/

 

【研究の紹介】

電車内の広告やコンビニの雑誌コーナーなどで、ビジネス誌を目にすることがあるかと思います。ビジネス誌では、ビジネススキルや対人関係に関するノウハウが大いに語られています。今回の学会報告では、そうした言説を題材として、「職場における望ましい振舞はどのように語られているか?」あるいは「そうしたことが語られることの意味は?」ということを社会学の観点から探求しました。

 職場の人間関係は、古くて新しいテーマで、1920年代に、かの有名なホーソン実験により「発見」されました。その後、心理学や経営学の分野で経験的な研究が積み重ねられ、今では「マネジメント」や「リーダーシップ」という形で日常用語として浸透しています。こうした学術的知見や言説をむしろ権力作用と捉え、相対化した視点から分析したのがN. RoseGoverning the Soul: The Shaping of the Private Self1989です。彼は、心理学的な知見が職業生活の場に入ってくることにより、「主体的で生産的な労働者像」が形成されるという見方をしました。こうした見方を受け継ぎ、それを職場における振舞のレベルまで落として研究しようというのが私の研究です。

組織人として働いていく中では、朝職場に足を踏み入れたその瞬間から夜職場を出るまでに、様々な相互行為場面に直面します。朝エレベーターで上司と鉢合わせたり、急な作業を同僚に依頼せねばならなくなったり、他部署からの案に対して反論をしたり、ミスした部下に注意をしたり、夜に上司からの飲みの誘いを断ったり・・・などなど、人々は様々な相互行為を行い、その中で様々に気を遣って生活をしています。そうした相互行為場面で「望ましい振舞」とされているものを相対化してみよう、というのが私の研究のねらいです。分析の視角としては様々考えられますが、今回は先行研究の蓄積から「authenticity(ほんものらしさ)」をキーワードに分析を行いました。

 「ほんもの(authenticity)」は、近代の規範を捉えるキーワードの一つです。A. GiddensModernity and self-identity: Self and Society in the Late Modern Age1991)の中で次のような主旨のことを述べます。現代では、近代以前にあったような出身地や家系等といったような、アイデンティティを規定する外的基準が希薄です。なので、常に「ほんとうの自分とは何か?」「自分がほんとうに欲しているものとは何か?」ということを再帰的に問い続けて判断を行っていきます。そしてこうしたことは、他者とやり取りする際にも規範としてはたらきます。「相手がほんとうに思っていることは何か?」ということが重視されるのです。これは、職場での感情や相互行為を対象とした研究からも明らかになり始めています。

 今回私が調査した『プレジデント』(プレジデント社)という雑誌は、ビジネススキルや対人関係スキルを中心的に扱う雑誌の中では最大の発行部数(毎号約30万部)を誇る雑誌です。同誌の記事の中でも、「ほんものらしく振舞う」ということが繰り返し推奨されています。例えば、上司を説得する際は「熱意」や「本気度」を表出すること、謝ったり褒めたりする際は「わざとらしくないこと」が繰り返し推奨されていました。また、円滑にコミュニケーションを取り周囲と打ち解けるためには、自分を飾らずに隙を見せるぐらいの方がよい、という技法も繰り返し紹介されていました。表出された言動がその人の本心を反映した自然なものであることを確認できることが求められているのです。しかし少し考えてみると、これは大いなる矛盾であることに気が付きます。「ほんもの」が推奨され、意識して表出されたものになった時点で、それは語の本来の意味における「ほんもの」ではなく、人々に作られたものになるのです。つまり、「ほんものらしさを演出する」という不可思議な事態がここに発生しているわけです。この点は今後、さらに深い理論的考察を行っていく予定です。また、上司を説得する場面、同僚と交渉する場面、部下を指導する場面など、様々な場面で要求される「ほんものらしさの演出」は非常に多様です。この点についても、それぞれの場面で、人々がどのように意識したり、やり過ごしたり、解決したりしているのか、さらなる分析を行う予定です。